Keigo

西鶴一代女のKeigoのレビュー・感想・評価

西鶴一代女(1952年製作の映画)
4.7
溝口作品三作目にして、いよいよ溝口健二の凄さを実感し始めている。もしかすると自分は、小津安二郎や黒澤明よりも溝口健二が好きなのかもしれない...まだどの監督も観てる作品数が少ないので明言は出来ないけども。

『雨月物語』も素晴らしかったけど、個人的にはこっちの方がくらったなー...。
自分にとってはこの“くらった”という感覚がとても重要で。映画を観終わって、さて自分の中のどの辺りにこの作品をしまっておこうかと考える時に、よりくらった作品を手に取りやすい場所にしまいたくなる。


それにしてもお春...
不遇だ...「時代に翻弄された」という言葉で片付けるにはあまりに不憫すぎる...。でもこの時代にはそこまで特別な事でも無かったのかもしれないと思うと、ご先祖さまに手を合わせたくなる。

お春を演じた田中絹代が素晴らしい。
御所勤めの10代の無垢な初々しさから貧相な夜鷹に至るまで、数十年に渡るお春の様々な身の上を演じ分け、次第に希望を失っていくその表情には痛切な悲哀があった。

勝之助が打首になったと聞かされて家を飛び出し竹藪を駆けるあのシーン、乞食になり道端で力ない声で歌っていた時にふと通りかかった息子に母と名乗ることが出来ず、我が子の成長をそっと物陰から見守ることしか出来ず嗚咽するあのシーン、自ら化け猫の皮をはいで男どもに啖呵を切るあのシーン、どれも素晴らしかったが...

何と言ってもついにお春が産んだ子が殿の後を継ぐことになったと聞いて屋敷に出向いた矢先のあのシーン。お春が夜鷹に身を落としていたことが問題視され幽閉されそうになり、慈悲で屋敷の廊下を家来を大勢引き連れて歩く息子の姿を、遠くから拝むことだけが許される。ワンカットの長回し、鳴り響く三味線の音(三味線じゃないかも?なんにせよ三味線的なる音)、家来を振り払いながら追いかけるお春...もうね、カタルシス全開。

ダラダラと書いたけど、とにかく全てはこの余韻が物語っている。あらゆることが徹底され細部に魂が宿り、覇気とも言えるような何か、鬼気迫るものを感じる傑作だった。


ちなみに直近で観たから余計にそう思うのかもしれないけど、ゴダールの『女と男のいる舗道』は今作の影響下にあるのではないかと思った。ゴダールはほんとにミゾグチが好きだったんだなーと。

観終わって改めてキャストの欄を確認すると三船敏郎の名が...え?どこにいた?となって調べてみると...

...勝之助!!あの青年!
全く分かんなかった。笑
三船敏郎は無精髭で野暮ったい、荒くれ者の役ばっかりじゃないのねー!

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