三四郎

浪華悲歌の三四郎のレビュー・感想・評価

浪華悲歌(1936年製作の映画)
3.9
犬と蒲団に入ってる有閑マダム笑

「浪華」なので大阪の話だが、ネオン街がきらびやかでまぶしく、その発展が伺える!
当時、大阪は非常にモダンな街だったのだろう。この映画は、同時代の日本映画と比べても、戦後の映画と比べてもテンポが速い!!スピードを感じ、終わりまで途切れることなく冗長になることなく非常に心地良いテンポで展開していく。
途中、約4分間、文楽座の人形浄瑠璃の場面が挿入され、演目は「野崎村」だ。なるほど、ある人が指摘しているが、東京では歌舞伎座が出てくるところが、大阪では文楽座なのか。格式高そうな内装で、立派な壮厳な重厚な造り。

恋人がアパートに来て、山田五十鈴が何もかもを言ってしまうその時、山田五十鈴は以下の科白を吐く。
「あて…このままでいたら…どこまで悪うなっていくかわからへん…それを思うと、あて…自分が可哀想で…かわいそうで」
私は、これを聞いて、なかなか芯の強いしたたかな女だと思った。嫌々ながらも、家族のため、お金のために社長さんに囲われるわけだが、そんな自分自身を「可哀想」だと客観的にあるいは主観的にかもしれないが言えるなんて普通の女ではない。彼女からは全く薄幸な印象が浮かばない。
『朱と緑』でもそうだったが、「大阪の女」は「東京の女」より芯が強そうだ。

“不良少女”という言葉に違和感を持ってしまったが、ヒロインの設定は19歳で、山田五十鈴自身も19歳だった笑 十代ならまだ少女と言っていいかもしれないが、到底「少女」には見えない!笑

この映画で最も美しいシーンは、ラストの川面に、ネオンがまるで少女の心の涙をあらわすかのように、ゆれ動きながら濡れ、それを橋の上から物思いに耽りながらポツンと一人見つめる立ち姿であろう。
「野良犬や。どないしたらええかわからへんねん…略…まあ病気やわな。不良少女ちゅう立派な病気やわ」
ラストシーンは悲劇的なメロディと共に少女が歩き出し、キャメラは横から正面に切り替わり、最後は少女の顔のアップで終わる。不条理だ…。
こんな女に誰がした、哀しいかな、それは自分自身だ…。
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