レオピン

黒い潮のレオピンのレビュー・感想・評価

黒い潮(1954年製作の映画)
4.2
下山病がまた再発するぅ😱

「下山事件」関連本は全部には目を通していないが、いわゆる平成の三部作は読んだ。下山検定があれば2級ぐらいだと思っていたのだが。。

自殺か他殺か 本作ではそこに焦点は当たっていない。原作井上靖の所属した毎日新聞は自殺説だったようだが。

デスクを務める記者の速水は、16年前に妻を心中事件で亡くした過去を持つ。タイトルの『黒い潮』はこの時に体験した、世間のいわれなき噂 誹謗中傷、それに対して何も反論できない無念。そういう思いの集積だ。
清張さんの「黒い霧」が上から立ち込めてくるものだとすれば、「潮」は足元にからみつく。この国が何百年かかけてつちかってきたものであり、そう簡単には抜け出せない何かだ。

一度この世間の悪しき面を味わっている彼はものすごく抑制的で理想主義だ。同僚の記者たちに原理原則を説き、時には当たったりする。あんな調子でいたらすぐに胃を悪くしそうだが、彼が唯一ホっとできるのは恩師の東野英治郎のひたむきに自分の研究を突き進む後ろ姿を眺めるときだけ。

「世間」学の本によると、今また「世間」が復活してきているそうだ。98年ぐらいが転機だと。「保守化」もその流れとみる説がある。そこにSNS時代のフローの加速が重なってくる。こういった話もなんとなく納得はできるが、自分は真面目さが失われたことが一番大きいと思う。

速水という男の痛ましい程の真面目さ あの送別会の雰囲気たるや。。
あれについていけないと思う者も、遠くから見守る者も、去っていく者も、あの同僚記者の数ぐらいこの映画の観客の反応も別れるのだろう。

真面目に言うと49年夏に起きたこの出来事は戦後のターニング・ポイントの一つになった。

警視庁の発表は突如として中止になる。現場では誰も理由は分からない。ただどこかとんでもない上からの圧力だということだけが了解される。
憤った河野秋武の記者が、妙ちくりんな時代がまたやってきてるんだと吠える。
腕利き刑事の石山健二郎はデカなんかに分かるものかとつぶやく。
 
記者や刑事のあの落胆。敗戦国の男たちが打ち倒される姿に、強大な力に屈せざるを得なかった市民の嘆きを感じる。まだ戦争の傷は癒えていない。
社会学の分類ではよく、72年ぐらいまでが理想の時代とか言われている。逆コースはこの理想に燃える人々の心にただ燃料をくべただけなのかもしれない。

いわゆる国鉄三大ミステリーと言われる事件。その報道まで含めたレベルで実際にどの程度GHQの関与があったのか。少なくとも圧力があったのは間違いない。だが忖度というのはきかない。今や完全に牙は抜かれ爪もない。完成している。

この作品、実際の事件からわずか5年で製作。当時の観客はみな共有できていたのだから細かい部分の説明はない。企画は監督・主演をつとめた山村聰。1954年は日本映画にとっても大変重要な年だ。

何も終わっていない
真実は一つ
事件があったということは動かないのだから
時がくれば必ず解決する


⇒美術:木村威夫

⇒速水のモデルは毎日新聞社会部デスクの平正一 著書に「生体れき断」

⇒政権にとって下山自殺説はまことに都合が悪かった。当時の官房長官増田甲子七は毎日の記者を呼び寄せて、「これが自殺だとしたら、左翼の攻勢はどうなりますか」と迫ったらしい。政権によるメディアコントロールは今に始まったことではない。
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