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火垂るの墓のmayuのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
4.3


子どもの頃、夏になると毎年テレビで流れていた記憶があるけど
気が付いたらいつの間にか流れなくなってた。
私の母は大のジブリ好きだから、火垂るの墓ももちろん持ってた。
(当時はまだビデオで、後にDVDへ移行していってたっけ)

何となく、ジブリでは珍しく怖くて悲しい印象があったから
当時から進んで観ることはなかったけど…

最近ジブリ作品をよく見返してて。
やっぱり火垂るの墓はしっかり記憶に残したいと思って衝動的に駆られてDVDを買ったの。


時代は太平洋戦争真っ只中の神戸。
今まで歴史をしっかり学んでこなかった自分を恥じた。
第二次世界大戦までは、日本は戦争で勝ちまくってて、日本が中国へ攻め込んでてすっからかんの時に
それを反対したアメリカとイギリスが攻め込んできたと。
(ざっくりこんな感じで聞いたけど…間違ってたら誰か教えて下さい。)


14歳の清太と4歳の節子の物語。
お父さんは海軍で、一般的な家庭よりも裕福だったことが、清太の記憶から垣間見れる。

火垂るの墓を観終わった人で
「生活能力がない幼い二人を結果的に追い出した叔母さんが悪い」
「働かず、学校にも行かず、かと言って家の支えにもならずに毎日家に居る清太が悪い」
かどちらの意見かに別れるのを目にする。

小さい頃は、私は前者側だった記憶がある。

けど、今改めて思う事はどちらも悪くないな…と思った。
じゃあ誰が悪いのか、という事になるけど…
海軍の父を心から尊敬している清太がいたように、
当時は「戦争に行くことが立派なこと」だったのが分かる。
高畑勲監督は「清太たちの死は全体主義に逆らったためであり、現代人が祖母に反感を覚え、清太に感情移入できる理由はそこにある。いつかまた全体主義の時代になり、逆に清太たちが糾弾されるかもしれない。それが恐ろしい。」とコメントされてて。
少なからず、現代にも全体主義の風潮ってあるんじゃないかなって。
当時の時代が、清太と叔母をそうさせたんだろうなと思うと、やるせない気持ちになる。


物語が進むにつれて、節子がどんどん痩せて目の輝きがなくなっていくのを見るのが辛かったし
空襲でみんなが逃げている中、清太だけみんなとは真反対に進んで
他人の家に侵入して食べ物や金目の物を盗んで、「もっと(空襲)やれやれ!」と嬉しそうに叫んでいる姿をみるとショックな映像だったけど…
清太の願いは、節子に栄養のある物を食べさせたいだったから、ずっと一貫してるのよね。

終わった後、悲しくて、なかなか気持ちが立ち上がらなかったけど
こういう時代があったことを忘れないようにしないとね。
自分の大切な人や家族と一緒に生きていけること、欲しいものが何でも手に入ること、
戦争が良くない事だと認知されている時代に生きていることに感謝しないといけないと思った。

改めてDVD買ってよかったな。
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