Kuuta

汚れた顔の天使のKuutaのレビュー・感想・評価

汚れた顔の天使(1938年製作の映画)
3.9
堅気に片足を突っ込みつつ、ギャング生活から抜け出せず、その間で引き裂かれていく。ジェームズ・キャグニー十八番のパターンにして代表作。

冷酷なギャングでありながら、自由な人生にプライドを持ち、友人や子供思いで、何より恋愛が不器用。強がりの裏側の弱さ、優しさ。マッチョイズムに潜むグラデーションを演じられる、キャグニーの魅力がよく出ている作品だ。

・少年時代、親友と一緒に起こした事件で自分だけ収監され、そのまま犯罪者の道を歩んだロッキー(キャグニー)。15年後釈放され、神父になった親友と再会する。15年経っても変わらない街並みを「全く同じクレーンショット」で描く序盤の撮影が印象的だ。

釈放後、たちまち街を牛耳るようになるロッキー。命を狙うギャングとの攻防を乗り切ったものの、今度は親友が新聞を巻き込み、ロッキーを含む街の不正を暴こうとキャンペーンを張る。実にアメリカらしい展開で、オチにも直結してくる。

・オープニングショットで「上から降りていく視点」が示される。ロッキーは通りを見下ろしている。彼は上を見ず、地下を這いつくばるキャラクターであり、教会で親友を見上げる場面だけが例外だ。

意中の幼馴染とカジノの看板を眺めるシーンが彼の幸せのピークだろうが、ここもよく計算されている。ショットが切り替わったほんの一瞬、彼は看板に向けて目線を上げるものの、その後は目線を下げるか、彼女に向けるのみ。上を向いた目を大きく輝かせる彼女の表情と対比が効いている(アマプラのサムネイルになっている写真)。

神に意識を向けられる親友は、クライマックスで何もない天井に光を見る。ラストショット、親友と子供たちは地下を抜け出し、光の差す階段を上がっていく。ヘイズコードが厳しくなってきた30年代後半に、悪役一辺倒ではないギャングをどう表現するか。捻った展開がほろ苦い。
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