シンフォニックなエレピとかの音楽、すてき。
恋愛ベクトル感じさせなかった主役二人の、意表突きすぎない実直な溶け合い( まるでちょっとジャズコードみたいなプラトニックな調和)、たいへんよし。
ビジュアル的には、パーティーのチョイ役の伊達男と、捨て子の若母が、いかにもイタリアーノ&アーナだった。
でも、たぶん私、この“耐震性高く成熟した”リアリズム映画のストーリー、一カ月もしたら忘れ去ると思う。
べつに、“大人な”映画だから物足りなかった、わけじゃないよ。
どんな庶民でもそれなりに気品を持っちゃってるヨーロッパ人への羨ましさに、あえて彼らの鬼っ子であるニーチェ的な良心(毒)を混ぜてみますね。
──────「シスター」なんていう変な存在を素材にするからいけないの。彼女が修道服を脱ごうが再び着ようが、知ったこっちゃないもん。
だから、信仰の話に洗濯屋さんが居眠りで応えるところ、一番好き。