そこは強制労働させられる人々の収容所。広大で乾いた大地、見渡しても地平線のみ。壕の中で眠る労働者たち、夜が明けると誰かが冷たく動かない体になっている。食べるものは少ないのに、遺体をくるんで縛る縄は足りている。
手紙は届かないのか、もう家族のもとへ帰れないのか、家族に会えないまま砂漠のなかに消える運命なのか。この気持ちを言葉に表すことなどできるはずもない。
大地の砂となった人々と辛うじて生き延びた人々の声にならない歌が砂漠に響き渡り、そしてまた砂に吸い込まれていく。
(メモ)
ソ連では1953年にスターリンが死に、1956年にスターリン批判が始まる。
中国では1956年から自由な発言が奨励され「百花斉放百家争鳴」運動が展開されるが、共産党批判が高まってくると一転、共産党が反撃、1957年には共産党を批判した人々が右派として糾弾される。55万人のうち 53万人は冤罪といわれ、のちに名誉回復した人々も多くいる。