ストレンジラヴ

人間の証明のストレンジラヴのレビュー・感想・評価

人間の証明(1977年製作の映画)
3.3
「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

森村誠一の同名小説を原作として角川映画が映像化。
1977年、東京・赤坂の高級ホテル。人気ファッションデザイナー・八杉恭子のファッションショーが開催された裏で黒人青年が刺殺される。名前はジョニー・ヘイワード。彼は西條八十の詩集を所持しており、死の間際に「ストウハ」という不可解な言葉を発していた。麹町警察署刑事・棟居弘一良は事件の捜査に乗り出す。
僕がこの物語を初めて知ったのは2004年、棟居刑事役を竹野内豊が演じた時だった。西條八十の詩もこの時初めて知った。以来、棟居刑事には(設定の関係もあるが)陰翳と静かなる闘志を秘めた男という印象が強い。
ジョー山中の歌と松田優作はいい。だがそれ以外は「札束にモノを言わせた冒涜」にしか映らず不愉快だった。あの有名なテーマ曲を作曲したのは大野雄二だが、かと言って本作の劇伴に大野雄二を指名したことが正しい判断だったかと訊かれれば僕はそうは思わない。やむにやまれぬ事情をそれぞれが抱えた重苦しい空気こそが本作の真骨頂であるはずなのに、いいところで「ルパン三世」のような軽薄な曲が流れてきて一気にぶち壊しになる。そして脚本にも溜息をついた。やたらファッションショーの場面が入る割に捜査はこじつけではないかというくらい強引に進行する。諸事情あって棟居はニューヨークに向かうが、ここでいきなり謎のカーチェイスが始まりもはや何を描きたいのか分からない。挙句、終盤のシーンの差込によって、ニューヨークで棟居とペアを組むシュフタン刑事の設定に決定的な矛盾まで発生させてしまっている(厳密には矛盾ではないのかもしれないが、それにしても棟居渡米後の展開があまりにも不自然に映ってしまうミスだ)。文字通りの蛇足。ラストの展開はいいのだからもっと丁寧に積み上げて欲しかった。観終わった後、それぞれが背負った過去に対する抗いようのない、なんとも言えないやるせない気持ちを余韻として引きずりたかった。けれど、とうとう駄目だった。僕はあのときずいぶんくやしかった。