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過去からの呼声のニューランドのレビュー・感想・評価

過去からの呼声(1922年製作の映画)
4.2
✔『過去からの呼声』(4.2p)及び『火山での決闘』(3.7p)『結婚適令記』(3.4p)▶️▶️
 
 傑作か秀作であるに拘らず、英米主体のデータ蓄積から漏れて、初上映から30年近く経って、やっと本欄の作品登録がされた物と、大監督(or撮影監督)作品らなのに、中国(発表当時は、国民党=中華民国)や消滅プロダクションらへの偏見か、未だに登録もされていない作品ら~サイレントを観、当然感動する。
 本作『過去~』を初めて観たのは30年くらい前だと思うが、これと並ぶこの時期の·賛辞が後世まで残る、世紀の大傑作『さらば青春』共々(まぁ、日本での人気に限られるところもあるが、同じ主演女優いわゆるディーバの1人なのだろうが、日本における欧州映画の最大の権威、飯島正さんが、『さらば~』の方を映画史上のB10に挙げてらしたので、気になってて、’90年代に入っての上映は夢のようだった)、個人コレクターの寄贈プリントは、その段階で上映可能ギリギリの状態であったようで、事実近年上映された『~青春』はデジタルスキャンでのデータ保全がやられたとしても、収蔵からかなり経っての処置で、以前はまぁ見れたものが溶解部分をかなり持ち、鑑賞にはきつくなっていた。元の状態がそれよりは良かった本作も、デジタル保全という策が可能となった時点でかなり劣化が激しくなってたのか、粒子の粗さ·彩色の反転など、随分醜くなってて、嘗ての風格·品位はかなり失われてる。『~青春』の数年後ということで、タッチも近代化·流麗化·主観力がかなり強くなり、見事な成果が上がってる作品なので、現況でもかろうじて勢いで魅せつくせる、というところか。
 サイレント初期の軽さを脱して、既にして古典文学的·映画美学的風格·力強さを持っているが、同時に作品を突き破り異質化せんとする、情念·コントロール不能のサガの突っ走りのスピード·ユニークさは、『~マリエンバートで』に匹敵するくらいの才気を、先駆的に持っていて、こちらが置いてかれそうになっては、見事に引き揚げられる波が打ってゆく。この呑み込む底力は、劣化によるハンディをかなりカバー出来てる。
 庭や館の装飾の風格と優美さ、細かで融通性のある長めフィットのパンや移動の横め、縦移動のそれ、主観移動にも、車のフォローと複数の搭乗者対応の見事さ、視界の俯瞰Lカット、その返しの主観含みの仰角威風、情が溶け合ういつしかズレて寄っててる3段カット、近接·隣接で呼応する複数カップルの場の併行とそこから生まれる軋轢の力と変移、対応や浅め切返しめやり取り、シーケンスぎりのWIPEやDISの律儀さ、ストーリー上の役の比重と無縁のキャラの真剣さ·真摯さ、進行のなだめ·自然さ付けのカットを省いたかのような映画さえ超えた狂しさの力、それを結果収めてくベネチア等の風景·風俗·街並みの力·荒々しさ·ダイナミズムの内からの現れ·取込み。
 回想の塊りも途中入るが、溺愛の息子を事故死させた、美しい裕福な貴婦人が、妙なきっかけで養子を迎える。その子も成人し、その恵まれた婚約も決まった頃、夫が亡くなり未亡人となる。それから暫く、満を持して、紳士的な知人の医師が彼女に再婚を申し出る。しかし、これに対し、養子が異常な振る舞いに出ることが増えてきて、婚約者を脇において、医師との決闘に至る。「母を奪い、取り上げた」「実の息子でもないのに? それ以上に(男性として)愛してる」と、血の繋がらない歳の離れた息子と母から、本音が振り絞られて、噴出する時が生まれてくる。なんの縛りも打ち消す、人間の生の叫びの、社会概念との裸の向き合いだ。決闘とこの地をを離れ、1人行方知れぬ旅にでてく貴婦人。
 がやはり、『さらば青春』や本作の真髄はこんなプリント状態で測られてはならない。せめて1992年時な戻せないのか。実務をやってた頃の現館長、海外への顔出しばかりに精を出してきたのか。まだ劣化少の状態の時のシャープで格もある印象強く、4.2pは変えずにおこう。
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 このサイレント映画の特集に選ばれるなら、作品登録当然と思われる作品ばかりの気がするが、中国映画初期最大の監督=新スターコンビの作とか、後の名バイプレーヤーの主役期=戦後にも活躍及ぶ名撮影監督の作品がなかったりする。私用で隣がマスク外し大口開けての社内唯一人の大いびきの(注意にも2·3分間聞くだけの)壮年無神経男性の夜行バスで一睡も出来ず、帰京すると、偶然会った年食っての映画狂の人が、FCで共に2回目再見となる凄い番組へ、というので、半ば以上ウトウトしながら付いてく。印象も曖昧だが、共になかなか優れてるは間違いない。
 スンユイやリーリーリーの作が殆ど登録ないというのも、信じ難い話で(スピルバーグやノーランを全作はずしても、最低数本いれるは常識)、どうしたことか。
 他のこの作家の作品には飛びついたのに、すこし古めかしいタイトルに30数年間素通りしてきた『火山~』は、半ばやはり·半ば意外に、溌剌としたこの期のこの作家の中では珍しく、映画本来の醍醐味を、かなりトリッキーかつ王道で味あわせてくれる。あざとい気もするが、撮影·演技極めて高度なレベルにある。夜景バック海面の人工ビニール風、火山のミニチュア·トリックとそこに至る距離感の短さ·ストーリー本位等の魔力以上に、圧巻は簡素で大掛かり板主体の回り階段を据えての、二階出口·踊場から一階広間への上下クレーンワークの必然平静なスケール·自在さで、平衡位置でも、俯瞰でも、また寄りの足元や仰角目でも難なく行われ続け、映画とマジックを感じ続ける。その他にも人の動き·歩きへの横中心のパンや移動も実に柔軟で細かくフィットし続けてく(ロケ、自然や河流流れに関しても滑らか·巧み)。縦の構図の、強い物ナメから極めて構築壮大シャープ図も普通に入る。並列·どんでん·切返し経ての、寄りのアップも多いが、各キャラクターが色合を決めてて、家族を失い日常「廃人」的虚ろも「悪魔退治」に取り憑かれた凄みの透ける主人公、彼に「化粧」の嘘の顔を指摘されるも·よりナチュラルに主体的に洗練の動物的ヒロイン、何処か投げやりで頼みにならないようで結局は救う確かさの親友、欲望や権力のひけらかしさに迷いなく人の死を招き「悪魔」とされて行く先々に現る権力者の5男坊の変化しない顔(が闘ううち、主人公と接近)らが、ストーリーの速度を離れてじっくり、馴染みや決闘が描かれてゆく。
 桃源郷的な農村から火山と海の南国へ、新横暴権力者に、目をつけられた妹と父の命奪われ、親友と逃れて来て、敵討ちを誓いながらそこに新任の酒場の高レベル解放の歌姫に心和まされてくも、軍事政権の傾きで、そこにも仇の権力者がやって来る。願ってた対決が早めに実現し、歌姫の巻き添え死?や火山噴火揺れが並行してくる。「あらゆる悪魔退治を見届ける迄死にはしない」
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 スターとしての杉狂児主演作『結婚~』は、保存状態もいいが、何より永塚のカメラの鋭さの目をみはる才気のカット切替え対応(シーン間·ショット間に思わぬ近似やズレ·動感継ぎの鋭利があちこち生まれてく)、敢えて安定の90°変繋がり押しの懐ろに驚き、車車輪の半主観スピードや、事故るモンタージュ、雨などの自然天候の引き入れ、縦の構図の無理ない各種実現にも驚く。
 内容や役者の色合いも得意だ。自然にもだが、嫌だったのが、相手の別面感じにコロッとベタベタなびくに変わる。理性や調整力欠いた、強引·盲目的猪突猛進の絡みが何か晴れ間を見せてくる。
 気弱な新米め新聞記者が、取材失敗続き左遷と結婚問題に直面し·気を入れ替え、身分違い令嬢とやり手臨席女記者らとの、稔りある成果に届いてく、ハチャメチャ·コメディ。
 「末っ子で甘やかされて育ってきたツケか」「思いのほか、やる。好きになってしまった」「あんたの事は女性としては嫌いだ」「私のやり抜く信条をもってすれば、落とせる。しかし、好きになった人の本当の幸せを考えるべき。退こう、そして応援へ」「お嬢さんの本当の幸せを考えれば、ドロドロした深い仲の芸者もいる、あの婚約者より、彼と結ばれるべき」「君は何の権限で?····よくぞ言ってくれた。君の言う通りだった。それほど論理的で聡明な人材。君は、わしの秘書になってくれんか」
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