IMAO

映画 ○月○日、区長になる女。のIMAOのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

僕は三鷹市民だが、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺にはよく行く。特にラピュタ阿佐ヶ谷もペンギンカフェもある阿佐ヶ谷は、ほぼ生活圏だ。なので、この2022年に行われた区長選挙についてのドキュメンタリーを、興味深く観ました。

杉並区で20年暮らす劇作家のペヤンヌマキは、「杉並区 都市計画道路」で近隣が再開発される可能性を知り、区政に関心を持つようになる。ほぼ一年後に区長候補として立候補した岸本さとこに期待を持ったペヤンヌは、YouTubeで岸本の活動を広報することで彼女の選挙戦をサポートをするようになるのだが…

この映画の魅力は、ペヤンヌが自分が住む土地の政治に関心を持ち、区長選に協力し、それが次第に映画になっていくという過程が時にスリリングに、そして時にはコミカルに描かれているところにある。その視点がとてもパーソナルなところも共感性がある。この映画は基本的には、区長として立候補した岸本を追ってゆくが、彼女の周りに集う人々も描いてゆく。それはごく普通の(という言葉も鎮撫だが)市民であり、杉並という土地に何十年も暮らしてきた人々や、この地を愛してやまない人々だ。そういう人たちが、この岸本を選挙でバックアップし、岸本自身も次第にその期待に応えようとしてゆく変化が捉えられている。

その一方で、この映画は岸本をめぐる人々しか描いていない、とも言える。この杉並区の前区長だった田中氏に関しての説明は、あくまで表面的であり、映画の「悪人」としてしか描かれていないように思える。だからこの映画は選挙戦のある一面しか描いていないし、そういう意味で公平ではない。この映画は良い意味でも悪い意味でも、あくまでもペヤンヌから見た選挙を描いていて、それがこの映画の最大の魅力であり欠点でもあると思う。(そもそも「公平」な映画というものは存在しないし、カメラを向けた時点で、それはある意思を持った行為で、撮影という行為自体に客観性はない、とも言える)
そしてそうしたことを含んだ上で、この映画を観る必要があるだろう。私たちの世界は、ある一面から見れば正義だが、ある一面から見たら悪になることに満ちていて、白黒で判断出来ないことが多すぎる。そしてあらゆる映像は(映画も含めて)プロパガンダの意味を持っていることも忘れてはならないだろう。完璧な人間が存在しないように、完璧な政治も、さらに言えば完璧な映画も存在しない。
この映画は最後に「選挙は続くよどこまでも」という言葉で締めくくられるが、権威はいつか腐敗する。だからこそ、この区長選の結果が今後どうなってゆくかを見守る必要があると思うし、そう考えさせてくれたことがこの映画の意義でもあると思う。
政治を行う者にもリテラシーが求められるが、政治を見守る側(有権者)にもリテラシーが求められる。それは映画だって同じだと思う。作る者と観客双方のリテラシーが、映画を作ってゆくのだから…
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