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ゴースト・トロピックの海のレビュー・感想・評価

ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)
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だれかを抱きしめたり、だれかに抱きしめられる夢をよく見る。それはいつも目がさめる少し前に、数分間だけ見る夢で、あいては、女の人のときも男の人のときもあって、こどものときもおとなのときもあって、知ってる人のときも知らない人のときもあって、その中のどれでもないときや、人ではないときもあるけど、いつも、名前はきかず、かおも見ない。ただ土のうえに落ちたとたん消えてしまう雨のようにわたしは身をまかせ、くりかえしくりかえす雨の粒を受けいれつづけるしずかな大地のようにわたしは身をふかくする。土曜の夜、小さな劇場のやわらかい椅子に座って、なにかをわすれたり、わすれられなかったりした。外で降っているはずの雨の音がときどき聴こえてくるような気がした。日々、こうなってほしくはないと、反対してきたことばかりが、決定され進められ起きつづけている。子どもたちのことも、よわい立場にいる人たちのことも、動物たちのことも、山林のことも、土地のことも、建築のことも、すべてを暴力や支配や占領が殺し奪っていく。毎朝起きるたびにぼんやりと悲しくて悔しくて、それが重たくて消えたい。もう何ヶ月もそんな日がつづいている。きのうの夜、劇場を出たときには、あたりは暗くなっていて、雨足も弱まっていた。コンビニで買った傘をひらくかどうかしばらく迷って、けっきょく差さず、少しだけ濡れながら駅までの道を歩いた。朝、駅前通りで、信号の上に留まったハシボソガラスを立ち止まって見上げてたら、前を歩いていたおじいさんもおなじように立ち止まってカラスを見てて、目が合って一瞬わらいあったことを思い出しながら歩いた。混雑した電車の中で席をゆずるとき、かならず緊張するから、吊り革を持つ手がしばらく震えていて恥ずかしかったのを思い出しながら歩いた。おむすびを買いに入ったスーパーマーケットで、小さな子がわたしを見てわーッと叫んで、手をふるとにっこり笑ってくれたことを思い出しながら歩いた。アカマツの枝の上で休んでいたエナガや、民家の庭先で咲きほこっていたハナミズキを、思い出しながら歩いた。家に帰ると、ねこは元気で、あたまからは雨に濡れた窓の匂いがした。あたたかな場所へいけるだろうか、わたしたちは。だれのこともあきらめずに、どんないのちも見捨てずに、あたたかな場所へいけるだろうか、わたしたちは。孤独なオウム、孤独な犬、孤独な家、孤独な“幽霊”、孤独な街、孤独な遺体、孤独な切り花、孤独なわたし、孤独なあなた。この映画には、支配も暴力もなかった。たとえそこにあっても、けしてそこにあるようには描かれなかった。女のひとが夜中までひとりで働き、ひとりで夜の街を歩いた。残されたいぬは凍え痩せほそるまえに、ひどいことをされるまえに、むかえがくるまえに、きっと走りだした。おもっていたんだよな、わたしも。今いっしょに暮らしているねこを、はじめてケージ越しに見たとき、このぜんぜん知らないいきものを、こんなせまい箱なんかから連れ出して、草原や、雪のずっとみなみや、花びらや落ち葉でうまった土のうえを、歩いてもらいたい、走りだすまで見ていたい、帰ってこなくなるまで待っていたいって、おもっていたんだよな。それはねこという小さないきものにとっては死ぬこととほとんど変わらないほど危ないことだけど、だけどもしここが、放たれたねこたちがほんとうの意味で安全に自由になれるような世界だったなら、わたしはこの場所を天国って呼んだだろう。わたしはだれかを抱きしめたり、だれかに抱きしめられる夢をよく見る。そんな夢をゆうべも見た。ゆうべは抱きしめる夢だった。だいじなあなたを、だきしめるゆめだったよ。
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