イスケ

異人たちのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

異人たち(2023年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

この死がすぐそこにある雰囲気と浮遊感……
特にハリーを演じるポール・メスカルのふわっとした不思議な存在感が凄まじい。
作り手の意図を無視することを承知で言うと、眠気を誘うような心地よさを感じました。この空間に惹き込まれた。

初めは「観たことのないタイプのクィア映画だな」と思いながら鑑賞していたけれど、それは少し違いましたね。
クィア要素は、あくまでもアダムが時代的な背景から秘め事のように抱えていた心の問題の一部であって、両親に本当の自分を分かってもらうことが叶わなかった「心残り」の象徴として用いられていたような気がします。

愛されたかった子供のアダムは、クィアであることを両親に肯定されないまま大人になり、それゆえ人を愛することから逃げてきた。
そんな彼がハリーの愛に応え、逆に愛を与えられるようになったという、「愛を与えること」が本質なのではないかな。


やはり解釈としては、両親もハリーもアダムでさえも、登場人物のすべてが亡くなっていて、それぞれが成仏できずにいたという見方が一番しっくりきます。

大体こんなにも魅力的な住居にふたりしか住んでいないなんて、現実の話としてはおかしいですよね。
実はこの世界をひっくり返したところに現世はあって、本当はふたりの部屋だけが空き部屋だったりして。
いずれにしても、アダムが火事で早々に命を落としていた可能性が高いように思いました。


生きて現世にいると幽霊が見えない。
だから、アダムが亡くなったタイミングで、彼と同じく「心残り」から成仏できていなかった両親も会えるようになった。
そのようなルールだったのだとすれば、かれこれ40年弱も成仏できずにいた両親にも心が痛みます。息子の大切な時に一緒にいてやれなかった想いに縛られて続けていたのだから。

自分たちが死んだ時のことやその後のアダムがどうなったのかを知らない様子を見ると、きっと長年過ごした場所や想いの強い場所の周囲に縛られ、心に残された想いだけがそこに佇む形になるのでしょうね。。(たびたび父だけ母だけがいなくなるのは何だったのかという疑問は残りますが)

異人となった者同士として、かつてのような温かい家庭を再び体感することができた。
アダムは足繁く両親のもとへと通い、少年時代に戻ったように幸せそうな顔を見せます。でもね……これがまた少し悲しく見えるんですよ。

その理由は、彼らが何故ここで再会できているかを考えれば察することができます。
やり残したことがあり成仏できていないからです。

両親は少年アダムに愛情を注ぎ続けることができませんでした。
アダムは家族との間に隙間ができた理由でもある「自分はゲイ」という本当の姿を知ってもらえなかった。そして肯定してもらえなかった。

だからこそ、両親との別れのシーンは悲しそうに見えて、温かいシーンなのだと思えます。
両親はアダムを理解し肯定することで、これ以上ないほどの愛を与えることができ、この世に縛られる必要がなくなったから消えていったのでしょう。


肯定されたアダムは心の隙間が埋まったからか、明らかに足取りに力がありました。そして、ハリーの部屋に自ら向かいます。
そこで凄惨な現場を目撃することになるわけですが、もしかしたらアダムはこの時点で自分が生きていないことに気づいたのかもしれません。

アダムは動じることなく、それまでの受け身の姿勢から一転し、ハリーの抱える不安を取り除いてあげました。
これでアダムも「愛を与える」側に回ることができたのだと思います。

愛し合ったふたりがそのまま御星様になるエンディングなんて、素晴らしすぎでしょうよ。


自分と異なるルーツ・姿形・考え方……
そのどれもが「相手へ愛を向けること」で解決できる可能性を、独創的な映像美で示してくれた作品だったと思います。
イスケ

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