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『METライブビューイング2023-24 ヴェルディ「運命の力」』に投稿された感想・評価

the METropolitan operaライブビューイング✨

初鑑賞✨
ずっと観てみたかったオペラ‼️✨
新たな世界を開拓✨

お話は・・・なんだか切なかった🥺❗️

オペラは・・・圧巻😳❗️
莫大なセリフ量(セリフというか歌)
ずっとあの声を出し続ける体力と声帯👏
同じ人間とは思えない(๑꒪ㅁ꒪๑)👏

【オペラってすごいって思った一節】
手紙を読む読まないのくだりだけでかなり長い時間かけた演出👏読むか読まないかだけなのに❗️❗️1人の男の葛藤❗️
でも最後の最後で結局見ちゃってさすがに『みるんか〰︎い👋』って心の中で突っ込んでしまった(笑)
フリがよくきいてた👏←そういう演出じゃ絶対ないw

【オペラに魅力を感じた瞬間】
インターバルで、オーケストラや指揮者、合唱団などの裏で舞台を支えている人たちにスポットが当たり、練習風景や並々なる思いを聞いた時、かっこいいなって思った😳❗️❗️
本物のプロ集団の集まり👏❗️❗️

【ここからは私のトイレ事情(本当にどうでもいい🤣w)】
上映時間なんと4時間15分⏰ฅ(º ロ º ฅ)‼️
でも休憩2回あると聞いて一安心😮‍💨

1時間半経過したくらいかな・・・
会場が明るくなる🔆
いざトイレへ"(⌯︎¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧︎💨
・・・と思ったら、プリマドンナのインタビューが始まる🎙️

え?Σ(꒪ȏ꒪)
トイレとインタビューを天秤にかけろですって?⚖️そんな酷なぁ😭💦(笑)
とりあえずトイレ我慢w
これを休憩と言っていいんですか😭??(なみだ)
と思っていたら、長めのインタビュー終了後に10分の本物のトイレ休憩あり❤️✨

オペラLive初めてのドキドキ体験でした🚽(笑)
オペラは大好物だが、ヴェルディは好きになれない。

『オテロ』と『ファルスタッフ』は、かなり好き、『マクベス』と『ドン・カルロ』も、まぁ聴ける。
だが、『イル・トロヴァトーレ』や『運命の力』は、ナマで観たかどうか曖昧だが、少なくともライブビューイングの類で3パターン以上ずつ観ているはず。だが、相変わらず、ちっともストーリーが頭に入って来ない。

今回は、ポーランド出身の映画監督マリウシュ・トレリンスキによる、舞台を現代に設定し直した、読み替え演出。
ところが、今回も、ヴェルディ嫌いは解消されないどころか、かえってこじらせたかも知れない。

【以下ネタバレ注意⚠️】




午前10時開始の回だったこともあり、第1幕、肝心のカラトラーヴァ侯爵が死ぬ場面の前後、ついウトウトと寝落ちして見過ごしたせいもあったかも知れない。

レオノーラが修道院に(本演出版では高速道路を運転して逃走中、事故に遭って負傷した姿で)駆け込む第2幕第2場からは、はっきり覚醒していたのだが、共感どころか、舞台で行われていることに全く何の感慨も持てなかった。

幕間の休憩時間に慌ててWikipediaを開いて、本作のあらすじを確認して第3幕以降に臨んだが、やはり劇中の世界に入り込むことは難しかった。

ワーグナーの楽劇なら、舞台や人物の設定を現代のそれに置き換えることは、現在むしろ演出の多数派を占めている。

今回のシリーズで、3月に観た、リチャード・エア演出の『カルメン』(2024.3.13レビュー)も設定を現代に読み替え、カルメンをヒップホップスターとして造型していた。
演出の意図を体現したカルメン役のアイグル・アクトメチナの好演も相まって、この読み替えは、かなり成功していたと思う。

ところが、本作の場合、どうだろうか。

まず、劇作品として台本がしっかりしているワーグナーやビゼーの作品と違って、本作『運命の力』は、従来から言われてきた通り、台本の質があまりにも低い。
『イル・トロヴァトーレ』にしてもそうだが、ストーリーの進み具合が支離滅裂で、伝統的なスタイルの演出で観ても、今どういう脈絡で何が起きているのかさえ、確かに把握することが困難なほど欠陥の多い台本(リブレット)なのだ。

幕間のインタビューで、トレリンスキは、本作に終始暗い影を落とす「戦争」という背景について、ウクライナで起きていることを見て理解できた、と語っていた。
だが、そんな意図を云々する以前に、そもそも本作の現代への読み替えは、効果を発揮するどころか、違和感の方が明らかに大きかった。

ノルウェー出身のリーゼ・ダーヴィドセン演ずるレオノーラと、ロシア出身のイーゴル・ゴロヴァテンコ演ずるドン・カルロ兄妹の父親カラトラーヴァ伯爵を、黒人歌手のソロマン・ハワードが演ずるのは、映画ならあり得ないが、キャスティングにおける人種差別を完全排除した欧米の舞台芸術では、当たり前のこととして受容しなければならない。

しかし、そうであるなら、時代設定さえオリジナルの設定を変更するのだから、そうしたキャスティングによって違和感を生じさせないような工夫が必要だったのではないか。

いや、キャスティングにおける人種問題に異議を申し立てるつもりはない。

ただ、本作のトレリンスキによる「読み替え」演出は、最初から最後まで、そとみ、ガワだけの現代化にとどまり、ついに歌手という俳優たちの演技そのものにはノータッチだったのではないか、と言いたいのである。

幕間インタビューで、トレリンスキは、自分は映像の世界出身だということを盛んに強調していた。
確かに幕間ないし幕前に、高速道路を逃亡するレオノーラが運転していると思しき自動車が暴走するさまとか、戦時下の森を行軍する兵士たちの姿とかを、具体的な映像として映し出していた。

だが、「現代化」の読み替えも、舞台装置と、演者の演技によって、本来行われるべきで、それをおろそかにして映像の力に頼るというのは(いくら得意分野だからと言って)、舞台演出の敗北ではなかろうか。

確かに、『運命の力』は台本自体が酷いシロモノだ。
だが、今回のトレリンスキによる現代化演出は、そうした作品自体の欠点を補うどころか、かえって観る者に不要な違和感をさらに加えただけ、だったのではないか。

おかげで、私のヴェルディ嫌いは、さらに悪化してしまった気がするのであった。
METでは上演自体も20年ぶり&ニュープロダクションは30年ぶり、てなコトっぽいのですが(ライブビューイングは初登場)且つ、私自身もチャンと観たのは初めてだったのですが、コレごっつ面白かったすね……(帰ってきてすぐ、オーソドックスな演出版も観たくなって色々と観漁っちゃいました)

モダンで斬新、そして(あからさまに)凝りまくって超ゴージャスな演出がまずは非常に見事でした。舞台設定を18世紀から「現代のいつかどこか」のプラス「戦時下」に置き換えたことで、その運命のもたらす悲惨さをより際立たせて物語に更に重みが増せていた様に思います。冒頭、序曲の間も舞台上ではサイレントでお芝居が進行し、一幕の描写に到る経緯(特にレオノーラのアンビヴァレントな感情)がより分り易く描写されていたのも実にゴージャスだったと思いますし、その後も各幕の最初につくり込んだ映像+字幕で状況説明がなされるので、内容が複雑だと言われる作品かと思いますが総じて比較的分り易く+(前述どおり)雰囲気も終始重厚に醸されていたと感じます。また、全ての幕で回転舞台を使用して次々とシームレスに場面を切り替えてゆくのは、演劇的に効果的のみならずソレそのものがヒトの逃れ得ぬ「運命の車輪」を表しているという、コレがコレまたお洒落で好く出来てるじゃねーですか。一点、今プロダクションではカラトラヴァ侯爵と修道院長が一人二役となっており、なのでオーラスの修道院長の言葉が侯爵=父親からのもの、と捉えられる様な仕掛けが施されている…のですが、個人的な感覚としてはコレは初見の人にはちょっと(効果が)分り難い方のヤツかな…とも思われましたかね。

歌手の出来も、コレも総じて素晴らしかったと思います。そもそも、ネゼ=セガンが「ちょっと言い過ぎかも?」と断りつつヴェルディ最高の音楽だ!と評していた様に、音楽自体のクオリティが全編で相当にエゲツない!てコトであるかとも思います、が何と言ってもとにかく主役のリーゼ・ダーヴィドセンの出来は確かに凄かったと思いますね。二幕のラストのアリア『天使の中の聖処女』は、また確かにヴェルディ(或いは全てのオペラ)の中でも最高峰…と言って好い荘厳なる出来だったのではないでしょうか(⇒私はたぶん、コレだけはも~一生忘れないと思います)。

個人的にはもう一人、プレツィオジッラも今作ではまた、同様に現代的でかつ少し奇抜な出で立ちで登場するのですが、前述どおり戦争の悲惨さがより際立てられている今作では、本来意図された彼女の役割である「場の空気を変える」という点でもより効果を高く果たせていたかと思われました。ただし、その一方でも、それはただ明るく・楽しい雰囲気をもたらすというコトではなくて、持ち込むそのモノは何らか望ましくない意味での(狂気に近い様な)高揚だ、という意味では、ソコもまた適切な表現だったかとは思われましたですね。