この映画は、語らない。
鑑賞した後、考えざるを得ない。目を背けようとしても、向き合うことになる。
都会と田舎は、音が違う。東京から、この映画の舞台となる長野県・水挽町に向かうカットのつながりでそのことを実感した。高速道路を走る車の鼓膜を押し込むような音の圧。それも一変、次のカットで田舎に入ると、静けさに包まれる。同じ車の音であっても、圧を感じない。
上から流れる水は必ず下に影響する。自然や地元民と共存するためにはバランスが大切で、そのためには知識や仲間意識が必要だ。
奈良の鹿は人を襲うというのは人に慣れすぎたからで、田舎の鹿は臆病だ。そしてそれはきっと、鹿だけの話ではない。
映画の後半で車の中で巧がタバコを吸うシーンがかなり暗かったが、わかりやすく光を当てないところに、あえて自然で撮影しているという意味を感じた。自然は、自然のままが一番美しい。
ラストシーンについては、自分なりに見解があるが、それをここで述べるとこの映画の意味がなくなってしまう気がするから、心にしまっておくことにする。