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悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.3
 濱口竜介監督と石橋英子さんのコラボレートである『GIFT』の上映は昨年11月の東京フィルメックスで体感している。そこには74分の映像マテリアルがあり、それぞれのシークエンスに併せて石橋英子さんが弦楽器やラップトップにあらかじめ入れられているジム・オルーク等々のフレーズを多層的に重ねて行く手法だった。つまり『GIFT』と呼ばれる映画の上映は、プレイヤーとしての石橋英子さんがいなければ成立しない映画である。そして『GIFT』の映像マテリアルに対して、石橋英子さんの演奏はその都度まったく違う演奏が乗るという。一度として同じ体験がない映画作家と演奏家との試みはライブとしての一夜限りの体験であり、純粋に即興のインスタレーションに近い。然しながらそこには74分という決められた時間に編集された映像マテリアルがあり、物語世界の中で登場人物たちは言葉を発しているが、それが観客には聞こえない。これは戦前のサイレント映画に感触的に極めて近く、そこには劇判と共に各シークエンスの意味を現す言葉がト書きの様に捻出される。私はこれを観て、今作を黒沢清の『カリスマ』のような映画だと早合点してしまっていたが、どうやら間違いだったようだ。

 長野の諏訪市に暮らす自然を守ろうとする集団がまず登場し、主人公の娘としてジュブナイルな存在感を持った少女が登場する。そこにアイドルの育成で頭角を現した芸能事務所が地方自治体の補助金獲得のために、奇妙なグランピング施設をでっち上げる。そこまでは今作の複合モンタージュである『GIFT』でも絵解き可能だったし、どんなに奇抜な編集を施そうとしても106分という映画の物語のうちの74分が『GIFT』の映像マテリアルに含まれている以上、予想の範疇を越えて来ないと見ていたのだが、少なくとも私の見通しは甘かった。というか濱口竜介のテキストの氾濫後の面白さをまったく考慮に入れていなかった。チェーンソーで気を切り落とし、細切れになった薪を割り、切り落とした牧の山まで代車で運び込む。そして上流に水を汲みに行き、ポリバケツに入れた水の山を車で運び出す。ここまでは主人公とその周囲の人々の日常のルーティンで、茫漠たる運動の記録なのだが、グランピング施設が説明会を開く辺りから、作劇の空気が一変する。前半部分の北川喜雄によるカメラワークはとてもぎこちなく、かなり手探りでカメラの位置や画角を決めたような迷いがはっきりと見え、極めて図式的なカメラのアクションに見える。

 冒頭の仰角による極めて長い樹木を捉えたシークエンスにはじまり、主人公が薪を割る場面が長回しのショットで、主人公が先に幼稚園を出た娘を追うシークエンスに至っては後部座席からの視点を取る。中盤のドリーによる森の中の横移動の場面はその中でもハッとさせられた。フレーム内に収まる地面のレイアウトが徐々にフレーム内を占拠しかかり、窒息する段階に来た時点で唐突に主人公が娘を肩車する場面に見事に繋がれる。幼稚園に通う娘はほとんど教育を受けていないものの、森の中に生える木々のボディを見ただけで見事に言い当てる。然しながら並外れた聡明な知性を持った少女は、自然の摂理に抗うことが出来ない。地域住民と運営組織の説明会まではややもすれば濱口竜介らしからぬ映画に眉間にしわが寄るばかりだったが、東京にUターンした運営組織の2人が諏訪市に戻る辺りからは濱口竜介の真骨頂で、昨日の舞台挨拶で、僕としてはコメディのつもりで脚本を書いていない、全てのシークエンスがコメディを意図していないという発言はよもや本気とは思えない。私には心底完璧な傑作である『偶然と想像』と『ドライブ・マイ・カー』の前に、『ハッピー・アワー』でモノにした俳優たちににじり寄る奇想天外な作劇から、クライマックスの展開に賞賛を持てる監督は日本映画界広しといえども濱口竜介以外には思いつかない。濱口竜介が映画監督ではなくて普通に小説家でも、おそらく直木賞や芥川賞は秒で取れると思う。

 そもそも『ドライブ・マイ・カー』以降に名前のある俳優と映画を撮る機会がありながらも、我々にとって殆ど思い入れのない俳優たちの作劇世界に引き摺り込む濱口竜介の強引だが、極めて純粋な映画への問いに私は聞き入ってしまう。どんな山師や胡散臭い監督やプロデューサーが発言権を持っても、その提案や企画に動じない濱口竜介の肝の据わった姿勢には、ただただ感服する他ない。映画作家のその粘り強い姿勢こそが演者たちの気持ちににじり寄り、世界中のどこにもないような奇跡のような作劇を作る。舞台挨拶で監督は、2週間前に公開が始まったフランスでは既に7万人の観客が熱狂し、クライマックスの場面に唖然としたと答えていたが、今作は一度観た段階では容易に答えなど出て来ない。そういう多義的な構造を持った力強い映画が、21世紀の日本映画から出て来たことに驚きを禁じ得ない。あのうどんの感想の場面のテキストとショットの多幸感というのは、それまでのシリアスな雰囲気を木っ端みじんに打ち砕くような映画的快楽に他ならない。
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