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市子のYouHのレビュー・感想・評価

市子(2023年製作の映画)
3.9
「特権に無自覚なマジョリティ」と、是枝監督の『誰も知らない』を想起させられる作品だなと感じたのが見終わった時の最初の感想。
市子のことを考える時、とてつもなく暗く深い穴の中を覗いたような、罪悪感に近い後味の悪さが心の中に残り続けている。知らないということの罪深さなのか…。

男性か女性か、都市圏か地方在住か、高学歴か低学歴か、両親か片親か、生まれもってどれだけの特権を持っているかで、その人の人生は大きく変わる。自分がどのくらいマジョリティ側にいる人間なのかを理解している人は少ないように思う。

市子は「離婚後300日問題」(改正法は2024年4月1日から施行)により、元夫からDV被害を受けていた母親なつみが出生届けに加害者の父親の名前が記載されることを避けるため、彼女の出生届けを提出しなかったことで、戸籍がないまま育てられた「無戸籍児」だった。
普通の親の元に生まれれば当たり前に出させるはずの出生届。誰もが持つことの出来る当たり前の「特権」を持たざる子供だったということだ。

戸籍がないということは、基本的には銀行口座やマイナンバーカード、保険証など自身を証明する書類を必要とするものがつくれない。また、婚姻届にも戸籍が必要になるため、結婚をすることもできない。
だから市子は、長谷川からプロポーズをされた翌日に姿を消した。
「普通に生きたいだけ」だった市子なのに、姿を消したその日、女児の遺体が山中から見つかったというニュースが付けられたままのテレビから流れていて、それはこの後に分かっていく市子の半生の物語を知らせる予兆でもあった。

市子を探すために長谷川がたどった彼女が生きてきたこれまでの軌跡は、普通に暮らしている人間にとって想像が出来ないくらいの壮絶なものだった。

無戸籍児であったとしても、小学校・中学校は義務教育のため、自治体によっては相談次第で戸籍がなくても通うことができる場合もあるようだが、そうした必要な情報を取ることができない社会的弱者だったなつみにとっては、市子を難病を患っている妹・月子として学校に通わせることしか出来なかったのであろうと想像ができる。

なつみも市子も、社会の制度から零れ落ち、無知であるが故にそこにつけこんでくる男たちに搾取され続け、生きていくために相手の命を奪う行為にも無感情になっていく。
少しでも彼女たちに手を差し伸べられる人物がいたのならば、もっと違う人生もあっただろう。

市子で描かれていたヤングケアラー、無戸籍、マイノリティ側の問題は徐々にではあるが、世間で理解されつつものもあるが、普通の特権を持っている大多数の人が持たざるを得ない人のことを想像するのは本当に難しいことだと思う。
そういう自分も、市子を見なければ無戸籍であるということが、どんなに大変な状況なのかということも想像ができなかったし、理解もできなかった。
理解が出ない、そのような立場におかれることに対して想像が及ばないというところが本音だ。想像が及ばないということは、自分も自分の持っている特権無自覚な人間だということだ。

普通に生きるための手段として、自殺志願者であった「北見冬子」という女性の戸籍を手に入れたかもしれない市子。
切望した普通の生活をひっそりと送ることが出来たのだろうか。
最初と最後で映し出された鼻歌を歌いながら照りつく道を歩いてい市子の姿は、過去なのか現在なのか分からないままエンドロールをむかえる。

特権に無自覚なマジョリティとして、特権を使って何が出来るのかということを常に考える自分でいたい。認知バイアスを外すことは容易ではないけれど、市子の人生を思いながらそう考える。
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