どうにもならなかったことって確かにあって、許されないことがその中にあったとして、じゃあ、それは誰が悪かったんだろう。
嘘を重ねることは悪いこととされているが、「嘘をつかざるを得なかった人」と「嘘をつかなくて済んできた人」がいる。後者は前者を責めることはできないと思う。
解決策を見出すことだけが意味のあることではないということがはっきりと分かって、それが嬉しかった。そういう考え方も自分の中にあるんだなということを知る。「こうしたらよかったじゃないか」「もっとできたことがあっただろう」ということを考えなかった。これを観ていると、そういうことは意味がないような気がした。
まだ自我が確立していないときから混乱するようなことをさせられて、わけがわからなくなるだろうし、考えただけでもしんどい。もし小学生の頃身近に市子がいて友だちになったとしても、途中で市子から逃げ出していたと思う。そう思うともっとしんどくなった。
たぶん市子のことをどれだけ理解しようとしても理解できない。市子だけが悪いわけじゃないけど市子にも罪があって、その複雑さというか、ストーリーや人物が複雑になっていたことによって、見ている自分の感情や市子に対する気持ちもより複雑になっていった。
感動だけが残るものではない。邦画で観たいものって大体しんどい。邦画特有のしんどさがある。数年前までは邦画ばっかり観ていたのに最近はあんまり観られなくなった。この特有のしんどさなんなんだろう。でもやっぱり考えることがたくさんあるし、嫌いではないんだなって自分で少し安心した。