ろく

あ、春のろくのレビュー・感想・評価

あ、春(1998年製作の映画)
3.5
最後の抒情派、相米慎二ウィーク⑤(final)

最後は相米後期の作品を。珍しく家庭のコメディ。このころの相米は(「風花」もそうだけど)とがっていることがなく妙に落ち着く出来。まあどの監督も年を取ると落ち着くのだけど(黒澤が「まあだだよ」を撮ったりするのと同じ)妙に優しくなってくるので嬉しくなってしまう。

出てくるのは斉藤由貴に佐藤浩市、冨士純子に山崎努と豪華。相米組おなじみの河合美智子や釣瓶も出ている。「台風クラブ」からそれほど時間経っているわけではないはずなんだけど、もう老境の域なんだなと見ていて思った。

結局、家族でもなんでも「わかりあえない」ということなんだよ。わかりあえるなんて幻想なの。この映画でもそうで、いくつもの分かり合えないが出てくる。佐藤は会社がつぶれるにも関わらず、妻の斉藤に伝えることができない。山崎は勝手に女を作って(それも本当なのだろうか)家を出ていく。そして久々に「父」として佐藤に会う。でも実際には「父」ですらなかったんだよ。そう、誰も「わかりあえない」し「わからない」の。それでも「許す」の。許すということは「相手をわかる」ではなく「とりあえず一緒にいる」ってことなのかもしれない。

「何かをしてもらう」ではなくそのまま「いつも一緒にいる」それだけで家族はいいのかもしれない。一緒にいてとりあえず笑えばそれでいい。ここにきて相米は小津の境地に立つ。できることなんかなくてもいいし、気にしなくてもいい。ただ「とりあえず」一緒にいる。それで幸せなのかもしれない。

山崎の飄々とした演技が楽しい。このころから山崎は既に老境だった(ここから20年、いまだ山崎は老境である。「長いお別れ」を見て欲しい)。気負わない演者なので似ているけど僕は緒形拳より好きだ。緒形の演技はどこか生真面目さが残っているが山崎の演技は「どうでもいいんだよ」と言う突き放した明るさがある。

最後まで家族を作ろうとしなかった相米がこんな優しい家族の映画を作るとは皮肉である。でも家族がいないからこそ描ける優しさがあるのかもしれない。
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