このレビューはネタバレを含みます
「永瀬正敏は画角に収まる際の見せ方を分かっていることがよく見て取れる」との指南を受け、見た。
勿論ふらっと素の状態ではなく、カメラの中の、舞台の上の作り込みを再認識した。
作り込まれた立ち方は、素の状態とは違うことをまた理解した。
役にとっての目的を達成するために短絡的になってはいないか??
中に見せる役の揺れ動き=弱さを出していかなければ、ただ目的を達成するだけ(自己)(もし目的も明確にない場合さらに居るだけと化すため辛い)、そして主役を支える作品のパーツになるだけ(全体)の代替可能品になってしまう危うさを自覚した。
目的をどこまで点として意識すればいいだろうか?
その答えが出るのはまだ先だが、目的に囚われない部分での役の芯みたいなものを忘れてはならないことは事実だ。
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映画自体の評価として
マイクが酔った後、楊の家に行って何気ない、とはいえお互いの人間的な部分に触れ合うシーンは、なんとも切ない。微笑ましいというより。
何かが起こる予感を汲み取るからであるか?
外国人のもつ(役割という面では、もたされた、という表現になるか?)、異国の地での余計な物を排した純度の高さは、回りくどい役の中に秘める純粋性の懐にすっと入っていくようなかんじ。
有名どころだと、戦場のメリークリスマスとかも同じ。
これでしか得られない何かがある。
役者の参考として観た迄だが、永瀬正敏の氷原の大胆さが良かったな。
自信というか、真っ直ぐに見据える感じというか。
そこの作り込み感を今まで自分はわざと避けてきたような気がする、「やりにいく」のとはまた意味が違うが、そこに信念の揺らがなさがあって然るべきだな。自分に疑念を抱かず、真正面からやってやらなあ。