Keigo

ポエトリー アグネスの詩 4K レストアのKeigoのレビュー・感想・評価

4.7
もうね、イ・チャンドン監督の顔をあしらったタトゥー入れたい。その上で「雑用でも何でもしますので、弟子入りさせてください」って韓国語だけ覚えて、カバンひとつで会いに行きたい。それぐらいに好き。

そう思ったのは3人目だろうか。タル・ベーラ、ケリー・ライカート、そしてイ・チャンドン。まだみんな生きている。でも身体はひとつしかないので弟子入りは1人にしか出来ない。さて、どうしたものか…

イ・チャンドン監督作品5作品目。
今作もやっぱり、めちゃくちゃに良い。ここまでハイスコアが続くともはや恋をしているのと同じ状態ではないかと思う。盲目的になってしまっていて、客観的に作品を観れていないのではないかと自分を疑いたくなってくる。それぐらい絶対的に好きで、絶対的に刺さる。

なぜここまで全ての作品が自分にピタッとくるのか分からないけれど、ひとつにイ・チャンドン自身が脚本も手掛けているということがあるような気がしている。それは彼が小説家からの転身だからこそ成せることなのかもしれない。いい映画を撮ることと、豊饒な物語を紡ぐことは別の才能だと思うけれど、それがとてつもなく高いレベルで両立されている稀有な存在。自分自身で紡いだ物語だからこそ、映画の細部にまでその感性が完全に行き届いていて、だからこそイ・チャンドンという人が見ている世界の有り様、彼の眼差し、彼の考えていること、それらが自然とそのままの形で作品世界に立ち上がっていて、自分はそこにこそ共感し、惚れ込んでいるからではなかろうか。

文学的素養のあるイ・チャンドンならではの題材とアプローチ。詩とは、芸術とは、一体どんなものか。“見る”というのはどういうことなのか。何を見ようと努めれば、本当に美しいものに辿りつけるのか。薄れゆく記憶の中で、残すべき記憶とは何なのか。

今作もいつにも増して重層的で広がりのある作品なので、ここで全てを詳細に書き残すには相当時間が掛かりそうなのでこれぐらいにしておいて、時間を掛けて熟成させようと思う。

本当に美しいものを“見る”ために、美しくないものを“見る”。作品の姿勢がそのまま、イ・チャンドンの創作に対する姿勢とも重なってくるような、珠玉の名作。
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