ビンさん

復讐のワサビのビンさんのレビュー・感想・評価

復讐のワサビ(2024年製作の映画)
4.0
※以下、2日続けて観た感想です。

【1日目】
妙にインパクトのある予告編を観て、何やらただならぬ匂いを感じていた本作、監督はへマント・シンなるインドの方ということからして、これは何かのパロディなのか、実際に本編観ないとなんとも言えないからなぁ、と公開日を待っていたわけで。

ヒロインのカノ(小池樹里杏)は母モトコ(ふじわらみほ)と二人暮らし。
モトコは酒浸りな日々だが、ヒロ(野村啓介)という愛人がいる。
カノの顔には大きな傷があり、それゆえ子供の頃からイジメられていたが、リエ(河辺ほのか)だけはそんなカノを庇っていた。
モトコは家計を得るため仕事を探すも詐欺に遭ってしまう。
そんなモトコを非難することなくヒロは彼女を慰めるのだった。
一方、カノもユウタ(井上雄太)に欲しくもない本を押し付けられ金をせびられるのだった。

いわゆる赤貧母子という、いきなり重い設定で、おまけにヒロインは子供の頃からイジメられているという、まるで山野一の漫画のようなイヤ〜なテイスト満載である。
が、たいてい母の愛人ってのも人間のクズみたいな描き方をされるものだが、本作のヒロはとにかくいい人というところが異色である。

さて、カノもいつまでも母親の収入に頼ってられないと、一念発起して東京で就職活動するも、ことごとく断られてしまう。
で、意気消沈するカノと思いきや、せっかく東京に来たので、モトコへお土産を買うのだが、このお土産を巡ってカノの隠された能力が覚醒するのだった。

いや、あのね、ここはたいてい意気消沈したヒロインは、傷心のまま家に帰ろうものだが、カノは違う。
というか、この映画ことごとく予定調和を破壊してくるのだ。

ここまではまだほんの序の口。
この後、物語はおおよその予想を裏切って、思いもよらぬ展開になっていく。

最初、僕はいったい何を観せられてるんだろうか? と脳味噌が腸捻転起こしそうな気分の中、物語も半ばくらいでいきなりヒロインの名前がカノからワサビに変化‼️
とともにようやく本作のタイトルがバーン‼️
え、ここで?

さらにここから物語は思わぬ方向へ振り倒す。
こんなことがあっていいのか。
いや、そんな映画があるのか。
あるのです、ここに。

また、描かれるシチュエーションが、カノを中心としてけっこうヘヴィで、不謹慎かもしれないが、思わず笑ってしまうのだ。
ここ、笑ってもええとこやんな? と自問自答しながら観るという、まさに禅問答のような映画だった。

タイトルの「復讐のワサビ」だが、子供の頃から虐げられたカノの積年の怨念が、ある出来事にてタガが外れて噴出したこと、と勝手に解釈するが、なぜワサビなのかは謎だ。

いや実際、本作は謎だらけで、ワサビというネーミングはもとより、就職活動で東京へ行くのが大層な描き方だったのにも関わらず、お金稼ぎにはあっさり歌舞伎町(?)へ行ってたりする。
そこでなんやかんやあって、瀕死の彼女が放り出される(自分でも何書いてんのかよくわかんない)のは地元の路上なのは何で? とか、
貧しいのに東京へは直ぐに行けるのは何で? とか、
あの一瞬だけ出てくるヘリコプターは何処行った? とか、
ルービックキューブの存在意義は? とか、
そもそもへマント・シンって何者?
などなど。

そういう謎、というか諸々のツッコミも何故か許してしまう、得体のしれないパワーが本作にあって、けっきょく観終わった時に、なんだかわかんないけどいい映画を観たなぁ、と思わせてくれるのだ。
でも、当初抱いていた本作の印象とは180度違っていたけれど。

ヒロインを演じた小池樹里杏さん、最初にこのシナリオを読んでどう思われただろうか。
しかし、この難しい役どころを見事に演じきってらっしゃった。
野村啓介さんは、僕が酷評(笑)した『悪魔がはらわたで〜』にも出演されており、ご本人に直接あの映画は嫌いだ、と投げつけたにも関わらず、本作のヒロそのままに笑顔で受けてくださったことに感謝。
松本悠香プロデューサーは、大学時代関西在住でナナゲイによく通われていたとのこと。
松本Pにもへマント・シン監督にも直接お話できたのは嬉しかったが、まだ鑑賞直後で気持ちの整理ついてないところだった(笑)ので、こちらはしどろもどろだったこと平にご容赦ください。 

とにかく、どえらいもん観てしもた・・・というのが率直な感想だ。
明日、直ぐに追いワサビをして、もうちょっと「慣れて」(笑)来ようと思う。

【2日目】
昨日初見して、この映画のことをあれこれ考えている自分がいた。
あのあと晩飯食べている時も、十三から地元奈良へ車を走らせている時も、次の違う映画を観ている時も。

これって恋なんだろうか。
恋なんだろう。え、恋なの?

それを確かめるために、雨の中を再び十三へワサビを追った。

確かに、予定調和を破壊するパワーは初見の時と同じものを感じた。
が、2度目ということもあるのだろうか、不思議と冷静に本作を観る事ができた。
そして、気づいたのは本作は意外とまとも(と書くと語弊があるが)な映画であり、物語の本質は性善説に則ったものであるということ。

ヒロインのカノ(後にワサビ)は、顔に傷を負い、それ故に学生の頃にイジメを受ける。
さらに家は貧しく、ろくに仕事もしない母は飲んだくれなうえに愛人を家に入れるような状況で、彼女は精神的に荒んでいる。
その反動がお金に対する執着なのだ。

母の助言?もあって、あくせく働くのではなく簡単にお金を得る術を知ってから、周囲の知人を巻き込んで悪に手を染めていき、最終的には破滅する。
が、破滅と引き換えに彼女が得たものは、当初の荒んだままの彼女では手に入れられぬものだった。
その過程で多くの人の親切心が犠牲となって、彼女を支えるのである。

そこに本作の監督・脚本を手掛けたへマント・シン氏のポリシーを感じる。
チラシに提示しているマハトマ・ガンジーのあまりにも有名な一文が、そのまま映画の本質を見事に表している。
しかし、あまりにビジュアルの奇抜さ(そういう意図はなくとも)と、演出のエキセントリックさ(重ねて書くがそういう意図はなくとも。あ、でも時折挟み込むキャラのオーバーアクションは意図してるでしょ?)が、ガンジーの言葉にフィルターがかかってしまい、じっくり本作と対峙してはじめてその本質が見えてくるのだ。

とにかく、本作の持つパワーと情熱は、2度目の鑑賞でも衰えること無く、鑑賞する自分を包み込んだ。
カノ=ワサビが手を染める悪行の果ての物語に、またもや引きずり込まれた挙げ句、日本人ならおそらく誰もが気持ちを鎮めることができるだろう、ある映像を提示して幕を閉じる。

本作を観て、ここで描かれているのは一体何なのだ? という疑問や、カノ=ワサビが辿る冥府魔道の物語に精神がズタボロになった心を、最後にきちっと癒やしてくれる、本作はまさにセラピーのような映画だといえよう。

あ、だからその癒しをこの映画に求めていたのか。
恋していたんじゃなく、癒しを求めていたのだな。納得(笑)

初日に続いて、へマント・シン監督、松本悠香プロデューサーと共に、2日目はヒロインを演じた小池樹里杏さん、カノに雑誌を押し売りするヤなに~ちゃんだったのが、途中でカノに協力するユウタを演じた井上雄太さん、ここで詳細書くのは敢えて止めておくが、本編の後半で印象的に登場する荒岡龍星さんが舞台挨拶に登壇。

小池さんは壮絶なカノ=ワサビを演じつつ、英語が堪能とのことでシン監督が英語で書いた脚本を翻訳し、演者さんに伝えるという、いわば影監督(笑)的な形でスタッフとしても関わっておられたとのこと。
井上さんは役者をしている中で、インド人の監督がどんな演出をするのか楽しみだったと語ってらっしゃった。
最初は悪い奴だったのに、とってもいい奴を演じるという、本作が持つその振り幅の大きさを体現する役を担っておられた。
荒岡さんは短い出演ながらも、その容姿とは関係なく(笑)、これまた本作のテーマに深く関わる印象深い役で、僕もクラファンで支援させていただいた『生きない』や、昨日登壇された野村啓介とともに『あくわた』にも出演されていたが、本作での荒岡さんがもっとも「人間らしくて」良かった。
それと、舞台挨拶に登壇されなかったが、カノの母モトコを演じたふじわらみほさんは、僕と同じ奈良出身というのが嬉しい。

また、演出とともに耳にこびりついて離れない佐藤リオさんによるスコアがまた強烈(笑)
あの珍奇でコミカルな旋律は、日本映画というよりもエスニックなイメージだし、ロシア民謡のようなコーラスを伴った大仰なスコアもインパクト大で、サントラが欲しくなるほどに。

これら演者さんやスタッフたちが織り成すアンサンブルと、シン監督の演出でもって唯一無二の作品となった本作。
まだまだそこに秘められたものを見出す余地のあるものと思うし、松本Pによれば当初は140分を超える上映時間だったとの事。
いつかそのオリジナル・バージョンも観てみたいが取り敢えず、せめてもう一度くらいは癒しを求めて追いワサビをしたいと思う。
ビンさん

ビンさん