ニューランド

母のニューランドのレビュー・感想・評価

(2022年製作の映画)
3.6
✔『母』(3.6p) 及び『ルクセンブルク、ルクセンブルク』(3.4P)▶️▶️

 EUの未公開作を多く含む、新作紹介特集も、話題にはならないが、しっかり観る側にも恒例化してきた。母たること、父たることを、問い直す2作。
 ブルガリアの、モデルになった事例あり、社会派ドキュメンタリー的『母』。冒頭の白い壁に挟まれた空間の奥の女性、ステージ上方の薄い広い布重なり漂う越しの生の空の垣間見え、など視覚的に創られたカットもままあるが、基本手持ち揺れの自由な感覚のカットで伸びやかに押してゆき、力強いフォローや角度やサイズの自由な切替え、各人の半ばドキュメンタルな素直な語りへのカメラ向け、異国の恋人らの私信の字の語りに先立つ大きな入れ、など素直で飾りない撮りながらドキュメンタリー映画に倣う作り方。そして、それは稀に見る濁りない感動を導く。まぁ、実際問題、この手のものの現実は薄汚れたものが多いとしても。また、実在のモデルの撮りかたは微妙に現実に引き戻す。
 演劇公演を拡げ、様々な素人へのその精神と自由な取っ掛かりを伝えるべく、様々な企画の申し入れを、こちらに引込む形で受け実践してる、三十代序盤の女性演出家。かなり年の離れたこれもアート関係の男との妊活も続けてるが、彼女の卵胞のない妊娠し難い体質、彼のアメリカへの長期招聘で、順調とは言い難い。そんな中、故国ブルガリアの孤児たちをアートに近づけ人間性を開花してくプロジェクトで、子供たちの息吹·伸びやかさに触れ、それはケニアのスラム街への企画への応じ、それ以上の嵌り込み·自身問題化(現地スタッフの定期短期間のスケジュールへの半端さ追求もあり)が進み、血をひく子供の母よりも、精神と環境を整え、育てる‘母’の方へ向いてく。企画する組織は離れても、自ら自分のような人間育成の機関を作り、より大きなユネスコらの支援を取り付け、長期遠大で純粋さ失わぬ流れを作り上げる。
 「子どもの世界を変え、また子どもが彼女を産んだ実績を見てくれ」「子どもの為のアートの講座」「子どもの純粋な魂を導き、それは肉体は死んでも不滅となる(意味での)、母」「虐げられてる子どもの心を開き、自分に忠実に、夢を語らせる(流れでのアートと公演。社会の変革充実へも進んでく)」「それにしても、一人の母に沢山過ぎる子どものかたち」「母が母を産み、(多数)母として育成へ」
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 その作品は日曜日夕方か急に休みになり、2.3席だけ余ってたのに紛れ込む。人気番組らしい(ゲスト登壇の力なのかも)。その2日前の夜の番組は、翌日急に仕事入り、やることを繰り上げての外出のついでに、足を運んだもので、翌日の豪雨中の早朝出勤の事でまともに観てないが、充実品でよく出来てたは分かった(邦訳字幕も読みにくく)。こっちは、父たるものの可笑しくもあるオブセッション含む追求の姿がテーマにとなってる。一足先のエントリー、ウクライナの作者の自伝ニュアンスも入った『ルク~』。
 少年時代から青赤と着るものを分け、性格も対称的な背の低い双子。嘗て国を離れてた母に、くっ付いて来た強面の偉丈夫·ギャング側面を持つ父は強い印象を残し姿を消し、それは、父なるもののあり方を肥大して考えせる日常を子らに与えた。警察に務めまじめな兄と、バス運転者としてトラブル抱え危なかっしい弟(。仕事ぶりのカットバックの巧みさを始め、兄弟の対称性·表裏一体性·統合歩み変化味、などタッチがアメリカ映画に劣らぬキレと、それを剥き出しにしない溶け合い抜け出す妙味がある)。突然、父危篤の報で、遠くルクセンブルクに発つ2人。いざ会った父の遺体に盛り上がらぬ二人。やがて彼は父から姓名·身分を買い取った他人と分かる。弟は悪い途に嵌っての、国外逃亡の手段を取ってた事も分かり、人や役割のイメージを真っ当過大に捉える事の大方ナンセンスが、悟られてく、ユーモア·不穏·価値見直し。まろやかにくるみ教えてくる作、かな。あまりしっかりとは観てないが、時々と括りの余韻はいい。
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