つかれぐま

哀れなるものたちのつかれぐまのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.5
24/2/1@新宿ピカデリー❽
4/18@WHITE CINE QUINTO

ベラの眼に映る「この世界」

主観視点の映画ではないが「ベラに見えている」世界がどんどん変わっていく、その映像表現が素晴らしい。エマ・ストーンの大きな眼が捉えた世界の姿。

一幕目はモノクロ。
ゴッドウィンの管理下に置かれた、いわばゼロの時代だ。当然大きなドラマは起こらないのだが、そこを補うのがランティモスのアートセンス。さながら現代美術展に来たかのように刺激的。マネの「草上の昼食」を思わせる構図が、その後のベラの性への奔放さを暗示する。音楽も不協和音が主体で、肉体と精神のアンバランスさを表現している。

二幕目は極彩色。
最近の言葉で言えば、文字通り「脳内お花畑」状態のベラ。何もかもが楽しく、この世界はすべて「幸せになる」ために設計されていることを信じて疑わない。その時、彼女の眼にはこんな風に見えていたという極彩色の世界が楽しい。街中でささいな暴力を目撃して嘔吐するのは後への伏線。学ぶことを覚えたベラはどんどん成長するが、その結果、世界の醜さにも気づいてしまう。

そして三幕目。
達観したベラが見る世界は普通の色。我々が見ている日常と、ここで同じになる(なってしまう)。彼女の知的レベルは常人のそれを凌駕。聖女のような心でゴッドウィンの罪を赦し、マックスの求愛も受け入れる。ようやく平穏な日々がと思った矢先、元夫の将軍が現れる。何事も実験主義の科学者視点を持つベラは、自分(ヴィクトリア)の過去を確かめようとするが、そこで見た将軍の本性はとても許せるものではなかった。

ロンドンに戻ったベラは、医者になることを志していた。まるで「アルジャーノンに花束を」のように発達した彼女の知能を持ってすれば可能な目標だ。だが医学の目的は「人間の生命を守り救うこと」。将軍の姿を見たベラは「人の生命など救うに値しない」という絶望に至ったのではないか。ヤギの姿にはそんな思いが。

更にエンドロールも不気味だった。
ベラの成長を表現するように変化してきた劇伴。その音楽がまるで時間を巻き戻すように映画序盤に流れた不協和音のアレへ変わっていく、戻っていく。これは邪推だが「アルジャーノンに花束を」を思い出しながら見ていた自分は(あの小説の主人公のように)ベラも幼児期へ退行していったのではないかと怖くなった。最後には音楽も消え、聞こえるのは自然音のみになって映画は終わる。

ベラは自らの意思で「退行」を選んだのかもしれない。その方が「幸せになれる」から。