ゴトウ

哀れなるものたちのゴトウのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.2
『バービー』にも通じる(というか、『人形の家』から変わっていない?)、被所有物としての人生からの女性解放も匂わせつつ、ウソくさい背景や妙にトントン拍子な展開もあって不謹慎なおとぎ話のような雰囲気。気味の悪い動物も出てくるし。子どもの素朴な疑問が、見て見ぬふりをされてきた欺瞞を浮き彫りにしてしまう展開も童話チックな素朴さはあるものの、そこに説得力を持たせるエマ・ストーンの目がとにかく大迫力。残酷で理不尽な現実に触れるうちに鋭くなっていく目つきと、しなやかで確固たるものになっていく足どりがかっこいい。一方で、肉体/魂(あるいは脳)の価値判断や生命の倫理みたいなところには、描写に迷いがないせいかあまり関心がないように思える。特にあのラストシーンは「生命に対する侮辱」(なぜか最近またバズってましたね)と取れなくもない。フェミニズム映画─という表現もあまりに恣意的に使われて無意味化して久しいが─として称賛される向きもありそうな一方で、単なる露悪ともとれる表現が多々あるのも間違いない気はした。あと、どこがいらないわけでもないけどなんかちょっと長く感じたな……ダンカンとの関係がこじれていくくだりがちょっと長くて疲れたのかもしれない。

規範や教義上のタブー走らないまま快楽を求める子どもの脳で、性的には成熟している大人となれば自然とそうなるのか?とにかく自慰行為やセックスシーンが多い。もし子どもの語彙なら「一人で幸せになる」と表現されるのか…とちょっと笑えた。澄んだ目で「なぜみんなもっとこれをしないのか?」とベラに問われると、問われた側は答えに窮してしまう。こっそり不倫したり、風俗嬢に入れ上げてみたり、実際には性的興奮、快感を求めていろいろやってる人も多いのに。生物としては自然なのかもしれないけれど、世間体や建前的なもののために欲望がねじ曲がって「まりちゃん寂しかったんだもん」に至るくらいなら、オープンに「みんなすればいい」というのもある面ではその通りなのかもしれない。ベラはセックスワークも否定していないわけで(辞めたのは「飽きたから」とも言う)、自由恋愛で性的欲求を満たせない男のことも切り捨ててはいないともいえる。とはいえ、娼館を訪れる男たちはほとんど出歯亀顔、妙な癖を笑いものにするようなニュアンスもあったけれど……。

生まれたてで急速に知識と経験を吸収しているがゆえに、命や金の不平等に対してナイーブな反応を見せるベラ。ベラが降りて行こうとした階段はどこにも繋がっておらず、死に行く赤ん坊や貧しい人々が暮らす場所に繋がる通路がないように見えたのが印象的。ウソっぽい背景が、人が生きる環境の不平等と断絶を強調していて、ベラが感じた絶望が観ていて苦しい。そうした苦しさを解消するために金を届けようとしても、その間にいる者たちに騙され、奪われてしまう。崖の下にいた人々ほどではないにせよ、船員の男たちだって(少なくともベラやダンカンほどには)豊かではないだろう。結局のところ、みんなが「哀れなるものたち」だったのかもしれないと思わされる。「資本主義も社会主義もまやかし 現実だけを信じろ」という男に対して、「失望するのが怖いのね」と喝破するベラ。ニヒリズムや冷笑に逃げ込むのではなく、理想をもって改善に努めるべきであるとする結論はたくましく、涙が出た。

あらゆることを俯瞰したような老婆が出てくるのも『バービー』で観たな〜と思ったのだけれど、男たちにはケンのように愛すべきおバカ感は薄く、愚かしさは浅ましくグロテスク。もともと捨てるつもりだったくせに、所有欲でベラの行動を制限するダンカンが嫉妬に狂っていく様は見苦しすぎて笑えないところもあった。全く思い通りにならない奔放なファム・ファタールにハマってしまう男の幻想は創作でも現実でも身近なように思えてそれにも苦笑い。当のベラは自分がしたいようにしているだけというのが皮肉で、一貫して「自分の体は自分のもの」だからセックスしたからという理由で相手に特別な思い入れも抱かない。ベラ本人はセックスワークに対してもあっけらかんとした態度で、ベラが娼館で働いたと知ったダンカンが(そのベラが代わりに金を稼いできたのに!)うろたえ、ベラを罵倒するのと対照的。性産業に対して抱いているネガティブなイメージを押し付けてお説教、もしくは勝手に勘違いしてガチ恋とか、SNSでたくさん見かけるし本当にあるのでしょう。当然性産業それ自体が抱える搾取の問題はあるにせよ、娼館で稼いだお金で勉強し、自分のアイデンティティを確立していくベラの姿は(ダンカンが糾弾するような)悪徳とは思えなかった。

まだ愛すべきおバカっぽさも多少はあったダンカンに対して、将軍はかなり暴力的で病的。魂まで独占しようとするダンカンに対して、「美しい妻としてそこにいること」だけを求める将軍もまた別の独りよがりさを秘めている。恐怖で人を支配することでさらに孤立し、不信感からさらに恐怖で他者を支配しようとする……というスパイラルに陥っている将軍は、かつての妻と同じ肉体だが別の人間として成長しているベラのことを理解しようともしない。ここへのやり返しとして、肉体だけ残して殺されたともいえる結末に至るのかもしれないけれど、やっぱり命に対してゴッドウィンが犯した罪を茶化してしまっているようにも見えてしまった。生きている将軍の脳を取り出して壊したということになるのかな?わざわざ殺すよりむごいことをしているように見えて、「医者になりたい」というベラのモチベーションもグロテスクな好奇心か復讐心なのか?と思えてしまった。親との関係をどう受け止めるか?みたいな話もチラチラ見えていたので、父親から受けた仕打ちを被害として受け止めた上で精算したゴッドウィンが新たに生まれ直す(=なんらかの形で死亡した将軍の体をもらう)みたいな話になるのかな?と途中から予想していたのは外れてしまった。ゴッドウィンが犯した罪をよりグロテスクに再生産したようにも見えてしまって、自分にとっては後味の悪い終わりだった…だから作品ごと悪いというわけではないのですが。

ベラ(の脳)の母親が身投げをする冒頭で色が消え、ベラが外の世界で「冒険」を始めたところから画面が色づき始める演出はわかりやすく感動的。サントラのジャースキン・フェンドリックスという人を知らなかったのですが、Black Country, New Roadの周辺人物らしい。予告編でも流れていた不安定なピッチの曲が特に印象的で、不穏な設定と物語の雰囲気によくあう。話題になっていたパンフレットの情報量も素晴らしいので、鑑賞の際には購入をおすすめします。衣装や美術も素敵だけど、スクリーンで一回観るだけだと見逃してしまう部分も多そう。

あとモザイクに関して、少なくとも劇場公開版ではかかっていないようです。あれがあると没入を邪魔されてものすごく冷めるので、ナシで公開されたことに感謝です。と同時に、なぜ作品によって違いが出るのか不思議な感じもするな……配信だと規制がかかったりするんだろうか。
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