ゴトウ

仮面ライダー555(ファイズ) 20th パラダイス・リゲインドのゴトウのレビュー・感想・評価

2.5
粗い!本編の設定を発展したり勝手に変えたりしつつテーマを描き直そうとするものの、力技が過ぎて説得力に欠けるというのが20年前の『Missing Ace』から変わってないじゃないか。新ライダー、新キャラを嵐のようにねじ込まれても騙されないぞ。新ライダーのデザインもどないやねんという感じだし、手放しで褒められる出来ではない。ただ、『復活のコアメダル』で周年記念の続編へのハードルは大いに下がっていて、大幅な不評を買うことはないのかもしれないけれど、「井上節」とかいってどこまでも許容していいのか?と思うし、CSMの新商品を売るためだけにこういう作品が作られていると見えなくもないので、ちょっと苦い思いがしました。面白いところももちろんあるけれど、それ以上に粗い。曖昧だからよかったものに答えを出されていくと、寂しい気持ちになることもあるのだなあと改めて思った。

本編後の世界で真理たちがオルフェノクの庇護に動くというのは無理筋ではないとは思うけれど、ぽっと出の新キャラが説明もなく現れ、説明もなく死んでいくうえに真理たちが大して動揺もしていないように見えるのが非常に心証が悪い。せっかく新規のスーツまで作ってるのに、個々のオルフェノクがどういうやつかわからないのももったいないし。意思と無関係に自分と紐づいた属性に基づく差別や排斥、それを乗り越えた共存が可能かどうか?を提示する存在としてオルフェノクが描かれていたはずなのだけれど、通り一遍な「殺人衝動」みたいなものが後付けの設定として出てきてしまうと話が変わってきてしまうよね。『BLACK SUN』でもそうだったのだけど、「外科手術で怪人にさせられる」みたいな描写が入ってくると(ほかならぬ「改造人間」回帰ではあるのだけど)人種差別や異文化理解みたいなものを読み取るのが難しくなってしまう。いくら「オルフェノクの記号」みたいな設定があったとはいえ、ここでその設定を持ち出して拡大解釈してくるのが自分としては厳しかった。「オルフェノク化は人類の一部に起きる不可逆な変化(進化)、人為的に戦闘能力を奪うことはできても根本的に人間とは異なる存在(だから短い寿命も変わらない)、でもその肉体以外は人間とは変わらない」という前提が、殺人衝動とか外科手術の描写で崩れてしまっている。テレビ本編でファイズたちが殺害してきたオルフェノクは、混濁した意識の中で必死に抵抗していたのではないか?あるいは、巧もまた自分の殺人衝動の矛先を同族であるオルフェノクに向けて解消していたに過ぎないのではないか?といった疑念すら湧いてしまう。

これまた『BLACK SUN』と同じような問題点ではないかと思うが、異種族(今作ならオルフェノク)と人間である真理との相互理解が、「真理のオルフェノク化」によって完成するというのもどうなの?と首を傾げてしまう。オルフェノク化した自分に絶望して自殺まで試みておいて(飛び降りまでさせる必要があるのか?)、「アンタもオルフェノクになったらどう?」とのたまうエンディングはちょっとあまりにも……。生理的な恐怖や嫌悪感を乗り越えた先の相互理解が可能なのか?みたいな話はテレビ本編でやった話なので、オルフェノクと人間(非オルフェノク)との間に信頼や友情が成り立つのか?という話を今さら、しかもそんな雑に掘り返すのかとちょっとびっくり。

放置していても早晩絶滅確定しているオルフェノクに対して、日本政府が殲滅部隊を送り込んでいる(いつから?20年前なのかここ最近なのか?)という設定も何が何だか。非オルフェノクが運用可能なライダーシステムと、オルフェノクを瞬殺可能なアンドロイドまでいるならオルフェノクなんて大した脅威ではないはずで、暴れているオルフェノクを鎮圧するならまだしも、地域住民に監視・通報させる必要がどこにあるのか。交通事故から助けられたおばあさんが自分を助けたオルフェノクを通報するという胸糞シーンまで入れたことで、物語自体が「当事者同士でないと相互理解は不可能である」という読み方もされ得るものになってしまっている。テレビ本編終盤にあった「警察組織内にオルフェノクの存在を認知し、利用しようとしている一派がある」という部分を果てしなく拡大解釈したような印象。「故人の記憶を保持した人造人間をスパイとして日本政府が送り込む」というのも、ショッカー回帰的でありつつ本編の世界観からすると陰謀論が過ぎる。もとから何してるかわからん会社だったスマートブレインが、日本政府によってオルフェノク殲滅のための傀儡として延命されているという解釈でいいのかな?わざわざそんな面倒なことをしてまでスマートブレインの屋号を保持している意味がわからん。治安維持の機能まで私企業にアウトソーシングしている、あるいはそういう体で汚れ仕事の責任を回避しているという話であれば本編の尺では足りていない。警察が扱う範囲を遥かに超えた武装で市街地で戦闘を行う組織、でも「政府と組んでいる」というのは周知の事実?

ツルッとしたヒーロー然とした姿の者と、異形の怪物の姿の者との戦いだけれど、観ている側は異形の怪物に肩入れしてしまう……という逆転がやりたかったのかもしれない。しかしそれもテレビ本編最終回における、海堂直也の「変身」を超えるカタルシスをもたらすものではなかった。ましてライオトルーパーはオルフェノク用の武装だったはずだし、ミューズ=玲菜が人間なのかどうかも明言されないので非常に不親切(『555』作中における仮面ライダーの性質上、ライダー=オルフェノクもしくはそれに準ずる体質を持つ者と判断するのが自然)な話だと思った。非オルフェノクが副作用なしに変身できるライダーが『555』世界内に現れるのは異常事態なんだなら、まず初めに玲菜が何者か説明しておかないとおかしいだろう。変身に恥じらう、みたいな変なギャグよりも前に。

三原不在、かつ今作のような状況であればデルタギア使用者になる方が自然であろう海堂直也が、変身しようとする素振りすら見せなかったのはそれこそ「わかってんじゃねえか」だった(彼がヒーロー然とした姿にならず、それでいて利他的、道徳的な態度を崩さないことが『555』の最も感動的な部分だと思っているので)。しかし異常にふざけた性格のキャラクターにされ、戦闘中にもふざけてしゃべり続けるのはいささかやりすぎで興醒め。ラー油で攻撃を阻止するくだりとか、テレビ本編のラインからも外れてないか。「一発」発言も、のちの展開の布石とはいえお調子者というかオッサンくさくて嫌だった。

恋愛要素も確かに『555』の中に確実にあったけれど、ラーメン屋のバイト同士のアレは知らないやつと知らないやつすぎて論外、巧と真理の関係性もそんなふうに一つの決着を迎えてしまうんだ……とやや虚しい思いにもなった。お互い大切な存在と思ってはいるけれど、何か名前のつくような関係ではないというのがよかったのではと。二人ともが同じ怪物となり、セックスによって結ばれるという結末まで描かれる必要があったのか。二人は短い寿命を共に過ごして幸せかもしれないけれど、オルフェノクと人間の共存の話ってどうなるのだろう……と不安になったところに真理の「アンタもオルフェノクになれば?」から巧の「生命線が伸びた」で力が抜けてしまった。え、そこ?という部分が拡大解釈され、曖昧だったからこそ幅広い読み解かれ方を可能にしていた部分に雑な答えが用意されてしまったような気がしてしまうな……。記憶まで引き継いだ人造人間草加が本来の使命を思い出し、本物の草加雅人なら絶対にしなかったであろう真理抹殺に動く場面、普通なら本来の人格とアンドロイドとしての使命との間で葛藤とかありそうなものだけど、そんなものは一切ない。草加雅人を出したい→作中で死んだから復活させよう、の流れだからこういうふうになるのだと思うが、じゃあなんであのタイミングまで(一体何年間?)クリーニング屋に潜入している必要があったの?とか、なぜ草加や北崎の姿を取らせたの?とか気になるところは説明されない。これならディケイドみたいに謎時空移動で草加が召喚されるくらいの方が良いよ。

掘り下げが少なかったけれど、ラーメン屋組のオルフェノクの戦闘シーンは立体的で面白かった。ガジェットの追加に依存してしまうライダー側の戦闘よりもワクワク感があった。『シン・仮面ライダー』を思わせるネクストアクセルフォームの演出(ラー油のくだりで台無しだけど)、AIによる行動予測とかは面白かった。カイザギアやオートバジンは破壊されたはずでは…と思うけど、ファンが見たいであろうものを見せたいという心意気自体はありがたいです。ただ、演者も発言してたように、20年かけて育ってきた『555』像を守るために超えないでほしいラインはやっぱりある。草加スマイルが観られれば満足!という気持ちでは観ていないし、キャラ萌えの範囲を脚本家にまで広げる気はないので「さすが井上脚本」とか「ドンブラ脳だから…」とかは思えなかった。『復活のコアメダル』が比較対象になること自体がおかしくて、正当な続編、完結編として見るなら完全に蛇足でしょう。『555』好きなんですよ僕は。福田ルミカさんの躍進に期待が高まるところはよかったです。(前にラジオで「変なおじさんが話しかけてきて娘を売り込んできた」と有吉が紹介していたのを聞いた。)
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