ジャッジが難しい。
そして東京のトイレは個性的だ。
そしてしっかり浸れる映画だ。
ただ、平山さんという人物の像だけが腹落ちしない。
子供部屋おじさんをロマンチックに描いたらこうなるのか?という見方も出来なくもないし、誤読前提に言えばつげ義春的なインテリの曲がった清貧のようにも見える。
僕自身がステレオタイプな目線で見ているのは充分承知の上で書くけれど、平山さんのような文化資本を背景にしたブルーワーカーとは一体どれほどいて、どこに対してリアリティのあるドラマを提供できるのか。もちろん映画はフィクションなのでそういう設定でもいいんだけれど。
写真を煎餅缶にいれて分類してるあたりは絵面がこんなにおしゃれじゃなかったらサイコホラーの中盤あたりだよ。
2000年代の就職氷河期に色々あって家族や社会から孤立した文系男子の成れの果てを表象しているのかもしれない。
その層が実は結構分厚く存在しているのか。
だとするとヴィム・ヴェンダースの日本への造詣の深さに脱帽するしかない。音楽の選定もそうだし、文庫本に幸田文とかチョイスするあたりは監督の意図なのか文化的な仕掛けを仕込もうとする資本の影響なのか。