KengoTerazono

PERFECT DAYSのKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
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『東京画』の今、あるいは小津へのラブレターという感じがした。

私的には、『東京画』の際、「アメリカにもあるディズニー・ランドより、日本にしかないタケノコ族の方が見たい」と言って渡らなかったハイウェイの入り口を渡ったことに驚いた。ETCを通り、複雑に入り組み重なり合っている高速道路から眺める東京は見慣れているはずなのにどこか奇妙な気もする。トイレがフィーチャーされているように見えて、これはトイレを巡るロード・ムーヴィーなのであり、ヴェンダースにとっての東京は、道路の大蛇がとぐろを巻いた街なのではないだろうか。だから平山は歩かない。自転車か車で移動するのだ。

公衆トイレ、高速道路、神社、銭湯、古本屋、スナック、浅草駅の悪魔合体した地下に広がる飲み屋街とレンタルビデオ屋。そして小津の世界から出てきたかのような控えめで無口な男。日本的なもので溢れているスクリーン内に、例えばスカイツリーという人工的な観光名所のすぐ下で営まれる下町の暮らしがティルトダウンで映される。キラキラ輝く華やかなTOKYOと、地味で土着的な暮らしがモザイクに並んでいる東京のユニークさが的確に捉えられている。

ここでは映されている東京よりもむしろ、スクリーンというマスクで覆い隠された東京に、ヴェンダースの批判的な眼差しが光っているのではないかと思う。浅草が舞台ながら、浅草寺はかけらも映されず、外国人観光客もトイレの仕組みがわからなかった黒人女性程度である。日本的なものでいえば、例えばアニメやアイドルの類も皆無だ。映されていない東京にこそ、ヴェンダースが『東京画』で拒んだディズニー・ランドのようなものが潜んでいるのではないだろうか。それは、「巨人は金で選手を買っている」というセリフやデジタルな指標でなんでも物事を測ってしまう若者、平山から子どもを遠ざけようとする母親などとも地続きなものだと思う。
もっとも、その批判が皮肉的な形で露呈するのはエンドロールだろう。LAWSONにUNIQLO、ダイワハウスにTOTO。日本が誇る消費資本主義の権化たちが鎮座している。

若者が面白い。というより若者に対する平山の戸惑いが面白い。デジタルとアナログをフラットに乗り換える感覚を上手く捉えている。フィルムキャメラとスマホのキャメラ、カセットテープとSpotify。

度々画面よりもテクストが先行する。平山姉弟との会話や三浦友和との会話。そしてその会話のペスミスティックさに心を揺さぶられる。小津的な家族の解体や、孤独な死の予兆が、今の東京に蘇った心地がした。

変わっていくことと変わらないことを描くのにこんなに適した街はあるまい。建物はあっというまに移り変わり、カセットテープは骨董品としてレトロブームの渦中で取引される。その一方で古い神社仏閣は意外にも生活の中に存在しているし、銭湯や古本屋も数は減ったといえど、目にすることは多い。「今のまま」と「変わらないはずがない」が混沌としている街は、木漏れ日のように脆い。
多分ヴェンダースは、平山なんて日本にいないことを承知している。あっというまに日本は「ディズニー・ランド」に飲み込まれていく。それでもまだ平山を信じられる程度には日本に、東京に希望があるのだろうか。そうだといいな。ヴェンダースが好きな東京が少しでも残る未来がいい。そんな東京が私も好きだ。ヴェンダースが映し出すものに素直に絡め取られるのも癪だけど。
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