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PERFECT DAYSのnobueのネタバレレビュー・内容・結末

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

毎朝同じ缶コーヒー買って時代遅れのデバイスで音楽聴いて仕事行って適当なもの食べて古書店行ったり銭湯行ったりコインランドリー行ったり、まあまあそこそこ愛想も良くて街の風景がきにいってて、役所広司は私かと思いましたが、あんな広いアパートには住めないです。

途中、あ、ルー・リードのカセットじゃん、ルー・リードの声だ、perfect days?ひょっとしてここで終わり?と思ったらまだ続き、姪っ子の名前がニコ、と思ってたら幸田文の本が出てきて古本屋がいかにもっぽいことを言い、木の話をしたり、カメラ屋のおやじに柴田元幸氏が…

2020年ごろの東京の風景がバチバチに記録されてるという点でも貴重だと思った。この時代の人間の記憶にある同時代の文化の記録でもあるし




追記 2024.01.26
ヴェンダースの「perfect days」、何か世間で言われていることとは別の面白さがあると思っていた。
たとえば、下北のカセット・レコード屋で主人公がルー・リードのカセットテープを見つける。「お!いいもの見つけた」という感じ。そのあとしばらくして、劇伴としてルー・リードの声が流れてくる。観客は、あ! ルー・リードの声だ、と思う。私はヴェルヴェットアンダーグラウンドのルー・リードしか聞いていないので、おそらくソロワークのこの曲は初聴きだったが、彼は「perfect day〜」と歌っている。ああこの曲からヴェンダースはこの映画を作ったのかなとチラッと思う。その後、突然現れる姪っ子の名前は「ニコ」である。ああやっぱりルー・リードの歌にインスピレーションを受けた話なのかなと思っていると、幸田文の「木」(文庫本)が出てきて、振り返ってみれば主人公の周りにやたらと「木」がある。私も幸田文は好きな作家だからつい熱心になり、映画の中の幸田文の痕跡を見逃してはならぬという気持ちになる。しかし映画が終わってもっと振り返ってみると、最初に主人公が読んでいたのはフォークナーの「野生の棕櫚」だった、と思う。パトリシア・ハイスミスは一冊も読んでないけど、多分映画の中で言われていたとおり、姪っ子の鬱屈をわかりやすく表現する配置なのだろうと考える。などなど、あれこれ思いながら日々を過ごしていたら、新刊広告の掲載紙が月一だけ届く図書新聞の大学生のレビューを載せるコーナーがたまたま「野生の棕櫚」だった。学生が書いているから生真面目にあらすじが全部載っている。二つの関係ない話が交互に語られる構造の小説で、本筋に足りないものとしてフォークナーが書き足したという方の話は、洪水で水に沈んだ綿畑の一本の木に掴まって助けを待っていた妊婦を囚人が助けるという話だということだった。「木」だ。木にすがって2人が懸命に頑張って3人目を助けるという話をはじめに主人公は読んでいたのだった。最初からわかって入ればもっとヴェンダースの意識に同調できたかもしれないと考える。そう、つまり、映画自体のストーリーとは別に、画や音や記憶や意味やいろんな刺激や方法の何やらぐにゃぐにゃした、普段自分があれこれ見ながら考えたり繋がりを感じたりするような意識の流れが映画の上と下に流れているような感じがするのだ。日記と作品を同時に見ているような感じだ。他にも私が全く気づいていないいろいろなキッカケが散らばっているのだろう。それでいて映画の本筋は、トイレ掃除を生業にする初老の男の生活で、人々はその足るを知る感じや役所広司の演技をストレートに賞賛している。みんな気づいているのか、これは非常に珍しい、作り手の記憶だか意識だかを同時に撮った名人芸なんじゃないのか
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