ブタブタ

タブロイド紙が映したドリアン・グレイのブタブタのレビュー・感想・評価

4.0
シュルレアリスム実験的前衛映画を2時間半も劇場で見るのはもはや苦行以外の何者でもない(笑)
けど見てよかった。
特に前半はホドロフスキーの『ホーリーマウンテン』にも相通ずるもの(セレブや支配者達のキチガイ騒ぎとか)を感じたけどホドロフスキーにすらあったストーリー性はここでは皆無。
突然始まる浜辺のオペラ。
裸のお姉さんとスペイン王子がアフレコ(!)で唄うが内容はほぼ分からない。
と言うか聞いてても意味無い。
そしてとにかく長い。
ここで最初の「自分は何を見せられてるんだろう?」と思う瞬間が来る。
このオペラが終わり場面変わってマクベスの三人の魔女を思わせる人物が今度は荒野で歌い始める…てオペラまだ続くのかよ!!(笑)
それを見るドクトル・マブゼとドリアン・グレイ。
この岩場の洞穴に長く布を垂らして装飾した客席の美術が素晴らしくて、シンプルかつ生け花とか茶室の一輪挿しとかにも通じるセンスがやっぱりこの映画は四の五の言うより美術、現代美術、前衛美術、とにかく《美術》で出来上がった映画。

ドイツ人初のスーパーモデル(だそうな)ヴェルーシュカ・フォン・レーンドルフ演じるドリアン・グレイが兎に角うつくしい。
その中性的、最早人間離れした宇宙人的美貌はデヴィッド・ボウイか、そして手足の長さや頭身の高さは羽生結弦みたい。(羽生結弦さんは大衆の下世話な欲望の犠牲になるって点も何か似てて嫌な気持ちに)

フリッツ・ラングの『ドクトル・マブゼ』とオスカーワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』別作品の主人公のクロスオーバー作品でもあるから『ジェイソンVSフレディ』『エイリアンVSプレデター』を先取りしてる。
そして男の筈の主人公達が何故か女性化。
ドリアン・グレイは設定上は男だけどどう見ても美女だし、コレは召喚するとアーサー王から織田信長迄漏れなく美少女化してる『Fate』のサーバント同様。
つまりこのドクトル・マブゼとドリアン・グレイは本物でなく飽くまでもそれぞれの《物語》からオッティンガー監督によって召喚され引用されたサーバントの様な存在。

犯罪王ドクトル・マブゼは何故か女になり世界中のマスコミ業界を牛耳るメディア王に。
今日も今日とて己の配下世界新聞社12使徒を集めて売り上げの報告と向上を命令する。
そしてスーパースター、ドリアン・グレイをメディアの力で更にアイコン化した上でスキャンダルをでっち上げて頂点から叩き落としその記事でもっと稼ごうと画策する計画「鏡作戦」を実行する。

『ドリアン・グレイの肖像』で不死を手に入れたドリアン・グレイは自分の代わりに醜く老いていく肖像画に最後はナイフを突き立て絶命する。
しかしこのドリアン・グレイを映すのは下世話なタブロイド紙。
毎日大量に刷られ棄てられ下世話なゴシップネタも秒単位で大衆に飽きられ又作られ提供されるを繰り返す。
一枚だけの芸術作品である肖像画と違って毎日毎日刷られるタブロイド紙に終わりは無い。
結末もこのドリアン・グレイは死ぬ事も出来ず永遠にそれこそ大衆が望む限り生き続けるって事か?

等と考察して見ても殆ど意味無い。
何処を切り取ってどうシャッフルしてもこの映画って成立するよね。
途中のアンダーグラウンド世界、見世物小屋、SM・娯楽施設、コレまた延々と続くこのシークエンスが特に素晴らしい。

突然始まるオペラ、唐突な場面転換、狂った様に歌う人暴れる人。
衣装替えも一瞬で時間や空間も明らかに狂ってる。
この物理法則を無視した世界は日本が世界に誇る芸術である漫画、特にギャグ漫画の世界。
奇しくもほぼ同時代に天才・鴨川つばめによって描かれた伝説的傑作ギャグ漫画『マカロニほうれん荘』みたいな。
マカロニほうれん荘はそれ迄のギャグ漫画とは完全に一線を画す革命的・実験的漫画でその時代の世相や文化、最新のファッションやキッチュな美術デザイン、美麗なキャラクターによるスラップスティック、畳み掛ける不条理の連続、この70年代日本の伝説のギャグ漫画と80年代独逸で作られた前衛実験的映画に相互性を感じるのは不思議。
そう思うと不死の美青年ドリアン・グレイは《トシちゃん》そのアクの強い顔の中国人召使いハリウッドは《きんどーさん》に見えてくる。
爆弾が破裂しようがナイフで刺されようがこの世界には基本《死》がない。
それって完全にギャグ漫画の世界。

こっちの地方では《ウルリケ・オッティンガー伯林三部作》の公開の目処が立たず東京旅行の際に単館系シアターstrangerで鑑賞。
結局『アル中女の肖像』は見れず。
そしてパンフレットが売れ切れてたのが残念。
ブタブタ

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