Keigo

窓ぎわのトットちゃんのKeigoのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.5
こんなにも軒並み大絶賛だと逆にあまりそそられないというなんとも憎たらしい天邪鬼な性格の自分は、今劇場で観たい作品が他にもいろいろあるし、トットちゃんは配信に来たら観ようかぐらいに思っていた。ところが来春から小学生になる6歳の息子と急遽映画を観ようということになり、これは好機だということで『窓ぎわのトットちゃん』を観ることにした。

平日の午後、お台場の映画館には自分と息子以外に女子学生が一組。彼女たちは右後方に座っていたので、劇場のど真ん中やや前方に自分と息子がぽつり。6歳の息子はまだ戦争のことなどよく分からないだろうし2時間近くある映画はちょっと長いかとも思ったので、小声で息子に補足説明をしたりポップコーンやジュースを手渡したりと、多少息子を気にかけながらの鑑賞だったが…

まさかの自分がボロ泣き。隠せないぐらいに。息子と一緒に映画を観て、あんなに泣くとは思わなかった。

スクリーンから目を離す瞬間もあったので、全編完全に集中して観れていた訳ではないけど、この作品がただのファミリー向けの泣ける映画ではないことは確かだ。

子供目線のストーリーと親和性のある光をたっぷり含んだような明るさや色彩の鮮やかさ、子供ならではの空想のシーンで変化するアニメーションのテイストなどが素晴らしく、目から全く飽きさせない。何より思わず息子と顔を見合わせてしまったある瞬間の衝撃は、それがフィクションにおいて特段珍しい出来事ではないのにも関わらず、これまであまり体験したことのないものだった。それは黒柳徹子の自伝的な原作が素晴らしいことは言わずもがな、映像化する上でのあらゆる選択や試みが秀逸であったことの証明でもあると思うし、それこそがこの作品がただの泣ける映画とは一線を画す理由だと思う。泣かせる映画にしようという卑しさは感じなかったし、ファンシーな世界観の中にも、現実の戦争や運命の理不尽さは克明に刻まれていた。


映画や芸術が好きな自分の感性はおそらく母親譲りで、父親と映画を観に行った記憶はほとんどないし、考えてみれば父親が泣いている姿なんて未だに見たことがない。だからと言って父親に不満があるわけでもないしそれがどうということではないけれど、自分の息子にとってこの体験は、一体どんな記憶になるんだろう。

エンドロールが終わり、明かりのついた劇場で息子に感想を尋ねると一言、「面白かった」としか言わなかった。息子はおそらく泣いてはいなかったが、父親がボロ泣きしていたことを茶化したりもせず、一切そこに触れようともしなかった。それは泣くのも理解出来ると思ったからなのかもしれないし、もしかするとそれを自分にいじられるのは恥ずかしいのではと考えた、彼なりの気使いだったのかもしれない。

「面白かった」というその感想に対してあえてそれ以上のことは聞かなかったけれど、お台場のスカスカの映画館で『窓ぎわのトットちゃん』を観て父親がボロ泣きしていたという記憶が、いつかの彼にとって愛すべき小さな記憶になればと思いながら、まだ小さい息子の手を引いて劇場を後にした。
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