このレビューはネタバレを含みます
先にこの映画を観た人から、「職場や仕事をきちんと描いているところがいい」という話を聞いた。
もともと見に行きたいと思っていたのだが、そんな映画だったっけ?と思った。
でも、その話を聞いて、ますます興味を引かれて……
●職場は生活の中で大きな位置を占める
確かに、そのとおりだと思った。職場はこの映画の鍵となっている。
仕事は生活の大きな部分を占める。友人とは月に1回しか会わなくても、職場の同僚とは毎日会って、会話も交わす。ときには同じ業務・目標に向かって一緒に力を合わせて進む。その部分が欠落していては、生活を描いたとはいえないかもしれない。
主人公の藤沢さんと山添君は、それぞれ「PMS」と「パニック障害」という発作的な症状を抱えている。そのため、前の職場にはいられなくなって、「栗田科学」という職場にやってきた。そして、同じ職場で働くことになった。
その二人が、お互いのことを気遣い、力になろうとするということが話の軸になっている。
職場がなければ二人は出会わなかった。職場という長い時間を一緒に過ごす場所だからこそ、お互いのことを知り、助けたいという気持ちが生まれたのだと思う。
その絆は、親友や恋人よりも深いかもしれない。
それくらい職場の同僚というのは、生活の中で大きな位置を占める。
●色恋の要素はない
しかし、同僚はあくまで同僚である。家族や恋人のように離れられない関係にはならない。それがこの映画を特別なものにしているようにも思う。
主人公の二人には恋愛の「れ」の字もない。私はどうして恋愛にならないのかと思ってしまった。少なくとも、藤沢さんの方は、山添君には興味がありそうだし、山添君の方もあんなに親切にされたら、その思いに応えたくなるだろうし。
というのは、下衆の勘繰りなのだろう。自分が恥ずかしい。
この作品は、あえてそういう色恋を描かなかったのかもしれない。
いずれにしても、二人はあっさり離れることになる。その場面があまりにも淡々としている。
そこも職場だった。藤沢さんが「転職することになった」というと、山添君は「僕はここに残ることにしました」と言う。
それだけだ。
●ユートピアのような会社
それにしても、二人が一緒に働いている「栗田科学」という会社が本当に温かいのだ。
おそらく給料は高くない。大きな仕事でもない。それでも、そこで働いている人たちがみんな優しい。傷ついた主人公の二人を温かく見守ってくれている。どうすればそんなふうになれるのか……
もしかすると、裏ではいろんなことがあるのかもしれないが、表面的にはユートピアのようだ。
というより、それこそがこの映画のすべてだと言ってもいい。だからユートピアでも変じゃない。そういう設定なのだ。
自分の職場もそんな職場にできたらいいなと思った。以前はそれができなくて、結局その職場にいられなくなってしまった。
現実は厳しい。だからこそ、この映画の優しさが身に染みる。
●風景のように優しく
エンドロールは、昼休みの会社の全体像を映し出す。
午前の仕事が終わり、社員たちがでてきて、キャッチボールをしたり、お昼ご飯を買いに行ったり、何かわからないけど外に出てきたりと、風景のように描かれる。
人間が風景になる、職場が風景になる……それは穏やかで優しいものであることの証拠なのかもしれない。
「職場での様子をきちんと描いた映画」というこの映画に対する評価は目から鱗でした。そのことを教えてくれた方に感謝します。
職場が舞台になっている映画というのはもちろんたくさんありますが、こんなふうに描いた映画は初めてかもしれません。
ぜひ、そういう視点でも観てみてください。