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夜明けのすべてのしののレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.1
もう三宅監督は何撮っても心地よい映画空間を現出させられるのではないかと思う。生きづらさを抱えた人物たちに対して、第三者的に寄り添うようなやや引いた視点でカメラを配置し、日々のなかでケアの働きかけが生まれていく様を捉える。映画的心地よさがテーマそのものに繋がる。見事だった。

これは前作『ケイコ 目を澄ませて』もそうだったが、我々はどこまでいっても第三者でしかないからこそ、「助けられることはある」というケアの関係の豊かさを提示してくる。しかもそれをドラマチックに描くことをしない。人と人が共生していれば当然発生する現象だと信じて描いている。そしてこの「当然発生する現象」であると信じさせてくれるのが、映画的心地よさの魔法なのだ。

たとえば、離れた場所から見送ったトンネルが、気づけば二人で並んで帰宅する帰り道になっている。買ってきたお土産を配るという行為を、気づけば別の人物が後半で反復している。あるいは、映らないものをあえて想像させるような演出も多用されている。LINEの文面は見せない、恋人との顛末は映さない、フレーム外に向かって微笑む、ドキュメンタリーの映像を最後までは映さない……。つまり、まさに観客という第三者が気にかけて感じとるという体験に本作は支えられているのだ。

こういった「気づけばこうなっている」の積み重ねによって、我々はケアの空間がどこにでも当然生まれ得ることを信じられるのだし、そして我々はそういう空間を生むための「気にかける」性質を確かに有しているはずなのだということを、本作の鑑賞体験そのもので示してくる。映画の面目躍如だと思う。

もちろん、背景設定(社長の弟の自死)を考えると、栗田科学はなるべくしてああなっている部分もある。逆にいえば、あの職場をユートピアとしては描いていないのだ。そして、そんな必然性なしにどこでも普通にああいう空間は生まれてこないといけないとも思う。そのことを示すのが、あのクライマックスだ。本作は主軸こそPMSとパニック障害をそれぞれ抱えた主人公の相互ケアだが、その周囲には職場の同僚や友人、恋人、家族など、様々な人々が登場する。当然、各々に抱えているものや距離感は違うのだが、そこには大なり小なり他者を気にかける志向性がある。これが劇中における「星」の説明と重なるのだ。つまり本作において、距離や時間はあまり重要ではない。星の光は距離も時間もバラバラだが、大事なのはそれが総体として一つの星座や宇宙を形作るということだ。夜の街明かりを星座のように映しているのは明らかだろう。全てを想像しえない宇宙を想像しようとする所に「すべて」がある。

正直、三宅作品のなかでは比較的分かりやすくなっていて、『ケイコ 目を澄ませて』とかに食らった身としてはどうしても平均値だなという感じはする。メンタルクリニックの先生とか、芝居がやや微妙なところも。ただ、平均値でこれなのが凄い。自分はあのビシッと締める気の全くないエンドクレジットにひたすら幸福感を覚えた。この何気ないケアの空間は、あなたの世界と全く同じ世界に確かに存在していますよと言うようだ。そこでは山添が同僚たちに、日常でよく聞くひと声をかける。あの自転車に乗って。それがすべてではないか。感服しました。

※感想ラジオ
『夜明けのすべて』は心地よい傑作!この映画が描く他者へのケアとは【ネタバレ感想】 https://youtu.be/qYj6GhQs9ps?si=uu5cAQOXkeTbIJTp
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