マインド亀

コット、はじまりの夏のマインド亀のレビュー・感想・評価

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
4.5
新星キャサリン・クリンチの圧倒的演技力と、アイルランドの美しさが織りなす奇跡のような映画

●アイルランド映画の傑作がまたもや私を虜にしました。いや、いつもひねくれた作品ばかり観る私にとっては珍しい、めちゃくちゃオーソドックスでシンプルな『感動映画』でした。「ひと夏の、少女の成長」とか、「少女が見つけた本当の居場所」とか、「親子以上に心を通わした愛」とか、そんな話かなあ、と思ったら、本当にそんな話でした。ある意味、何も新鮮味はなく、全て想定内と言っても良いかもしれない。だけども、正直めちゃくちゃ泣きました。もうね、絶対に分かってる展開なのに、なぜか心の琴線に触れて目頭が熱くなる。ヤバいですよね。年取って涙もろくなりすぎてるのもあるとは思うんですが、コットを観てると抱きしめてやりたくなるんですよね。(アイリンもショーンもコットに絶対にベタベタしませんけどね。それが良いんです!それがラストシーンに活きてくるんです。)
少年少女が実の両親以外の親類や、血の繋がりのない他人と心を通わし成長していく姿を描く映画は、ここで例を上げるまでもなく昔からある種定型のようにたくさん作られてきました。それらの作品の肝は子供の演技であり、子役選びこそが重要なファクターだと思うんですね。

●本作がそのどれよりも素晴らしい作品になっているのは、9歳の少女・コットを演じるキャサリン・クリンチの、心の細やかな襞を表情で表現できる、稀有な演技力だと思います。
ちょっと9歳にしては顔つきが大人びてるなあ、と思っていたのですが、多分撮影時は(調べたけど分からなかったのですが、)11〜12歳だったのでしょう。周りから「脚が長い」と言われてるのも、おそらく彼女の実年齢の体格に合わせてのセリフだったのかもしれません。(それでもその足の長さが、足の速さという長所に結びつけて映画の物語に深く意味づけされているのも見事ですね。)
実際、9歳のと12歳の差はかなり違うと思うのですが、彼女の演技は9歳の内気な少女にしか見えません。この、ちょっと大人びた顔つきと、低学年っぽさのアンバランスなところが、コットの魅力になっているんですね。周囲の姉たちや同級生よりも思慮深く、繊細で、心優しいおかげで、周囲に溶け込めなくなっているのも、彼女の醸す雰囲気に表れています。
キャサリン・クリンチの演技は誰よりもテイク数が少なかったと監督が答えているように、監督が子役の子供らしい部分をうまく演出に取り入れて撮影したのではなく、彼女自身が「自分の姉妹のように演じる」と言ったように、本当に俳優としての演技をしているんですね。まさに圧巻の天才俳優。彼女がいなければこの作品は成り立たなかった、と言い切れる圧倒的演技力だと思いました。

●また、本作がオーソドックスな物語を紡いでいる一方で、私がすごいと思ったのが、キレのあるラストです。ネタバレなので詳細は書けませんが、怖い怖い実の父親が近づいてくるなか、コットが本当に愛する人の耳元で、聞こえないような声で、ずっと言いたかった言葉をささやく、ここでジ・エンドなんですね。
このあと彼女はどうなったんだろう、もしかすると連れ戻されたかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。そう思わせる切れの良い余韻があるんですよね。それが素晴らしい。何にせよ、題名が「はじまりの夏」ですから、彼女にはこの一瞬から、心を通わせる本当の家族がいるんだ、という強さを身につけたのかもしれません。必ずいい方向に進んでいくと思わせるラストでした。
(もう、このシーンで涙腺崩壊でした)

●また、どのカットもそれだけでフォト作品になるくらい、全てが計算された豊かな自然と光を切り取っていますし、人物の配置も美しい。牛舎で床を掃除するショーンとコットが左右に配置されたシーンは、その画だけで彼らの心の距離を表していて、心に残るカットでした。どのシーンも、心に残る、特別なことが起こっている瞬間を切り取っていて、目が離せなくなる、そんな作品でした。

●本作でのコットの実の父親は、仕事をせずに飲んだくれてギャンブルに勤しむダメ親父で子沢山。大家族を形成するなら本当にしっかりして欲しいところでありますが、昨今のニュースを見ていると、家族間のコミュニケーションが希薄になりすぎていろんなトラブルが起きているのは変わらないと思うんですね。むしろ今のほうが、スマホやネットで一人ひとりの時間ができるからこそ、家族の一人一人が孤立しやすい。
本作は親が子供を育てるということの素晴らしさや美しさ、そしてその責任についての物語であり、実の子供だからと言ってそこを雑にしちゃいけないということを身に沁みて考えさせられる作品でした。
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