映画大好きそーやさん

朝がくるとむなしくなるの映画大好きそーやさんのレビュー・感想・評価

朝がくるとむなしくなる(2022年製作の映画)
3.6
あくまで日常的な摩擦の抱擁。
本作には、劇的な展開や作為的なストーリーテリングは一切ありません。
ただその世界で、唐田えりか演じる飯塚さんが生きている様子だけが切り取られていきます。
上映時間も短くサクッと観ることができる作品でありながら、共感性の面ではバッチリな内容となっていました。
どこか釣り合わなくなった(あるいは、最初から釣り合っていなかった)仕事を辞め、コンビニのアルバイトスタッフとして働く飯塚さんは、これといった学生時代の友人もおらず、母親にも会社を辞めたことを伝えられていませんでした。
バイトでも他のスタッフとの会話があまり噛み合わないため、飲み会の際には会話に入っていけないことを埋め合わせるためか、飲み過ぎてしまい介抱してもらう始末です。(後々考えてみると、介抱してもらっていた場面は、単純に飯塚さんの酒癖が悪いことを示す描写だったかもしれません。あるいは、石橋和磨演じる森口の、キャラクター性開示の場面だったとも解釈できそうです。いずれにせよ、本作を観た観客の独り言として受け取ってもらえれば幸いです。正解はいくら自分の中で考えても出ませんし、そもそも絶対的な答えが設定されいない可能性もありますので!)
現代人が抱えがちな生きづらさを背負ったような存在として、飯塚さんというキャラクターが描かれていく中で、ある時中学校時代の同級生、芋生悠演じる大友が彼女の働くコンビニにやって来るところから物語が動き出します。
動き出すと言っても、前述した通り地に足着いた2人の交流が、淡々と描かれていきますので、はっきり言って地味ではあります。
ただその地味さの中に飯塚さんの内的変化がわかりやすく見られて、表情や言動にらしさや砕けたような響きが生まれていき、その様子を私たち観客は嬉しく思う訳です。
作中、象徴的に使われる、「偉い」や「大丈夫」といった言葉が印象的で、日常生活を過ごす上で大きな問題がなくとも、何かしら漠然とした不安や焦燥に駆られてしまう多くの人たちに寄り添う、もしくは抱擁する優しさが、それらの言葉からは感じられて良かったです。
ただ本作は所謂生きづらさ、普遍的な日常の不和、不条理を伝えるパートが生温く、どうしてもシステマティックかつ表面的で、後半との差が感じ難くなっているように思えました。(おでんの一件を突発的なものとして受け取ったことも、生温いと思ったことに関係しているのですが、皆さんはいかがでしょう。あれは明確な(もしくは、十分な蓄積として読み取れる)変化の兆しを描いた上での行動と捉えましたか?ぜひ観た方の意見をお聞きしたいです。私には、そうは思えませんでした)
後半の展開を活かすなら、もう少し個人的な、あるいは別軸で解像度を上げた描写やシーンを加えてほしかった次第です。
あと、台詞がところどころ説教的というか、過剰な表現になっていて、その点には惜しいといった感情も抱いてしまいました。もう少し内容を整理するなり、言葉を洗練するなりの試行錯誤ができたのではないでしょうか。
それらの台詞を頭ごなしに悪いと言っているのではなく、全編を通して会話にリアリティがあるのにそういったパートの時だけ、制作陣の自我が前面に出てくるような感覚があって、不自然さを感じました。
また基本的に、飯塚さんの演技にはリアリティが感じられて好感触だったのですが、酔った演技が漫画的、記号的なものになっていて非常に残念でした。
あそこだけ浮いた印象で、トンマナが合っていないように感じました。
フラフラするにしても抑えめで、わざとらしさを感じられないものであれば、特に気にならなかったと思います。
とはいえ、酔ったら面倒くさいという部分はキャラクター性、ひいては大友(並びに森口)に受け入れてもらうためのフリとして重要なので、難しいバランス感覚を擁す場面ではあったかと思います。
今回に関しては、若干の違和感を抱く観客も1人はいたということで、落ち着けていきたいと思います。
上映時間が短いからこそ、撮るストーリーを絞ったのだと思いますが、やはり短尺な分だけに掘り下げが浅く、やや一面的になっているのも勿体なさを感じて、飯塚さんのパーソナルとそれに起因したドラマを追加したり、飯塚さんを裏切るような存在を登場させたり等の、映画的なツイストを望みたくなる私がいました。(そういう作風ではないとわかっていながらも、1本の映画として観るとどうしても歯痒さのようなものを感じました)
他にもタイトルと内容の不一致感や、幾つかの描写の必然性の薄さ等々、私個人としては色々と気になる部分が多かったです。
総じて、頭を捻る部分もありつつ、共感性の高い優しい作品でした!