RYUYA

ゴジラ-1.0のRYUYAのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.0
日曜の夕方、IMAX、大入り、後ろの席では予告編にいちいちコメントする二人組のマニアっぽい学生さん。「これぞ映画館」という環境で、久々に日本映画で「これぞ映画!」ってもんをみた。ヤバかったっすよ。だって戦後の焼け野原にゴジラ来んだぜ?そんな可哀想なことある?

突っ込みどころは多々あった。特にゴジラ×浜辺美波まわりの出来事がツッコミ百人組手がごとく怒涛の「なわけあるか」だったけど、なんか、それすら込みで日曜洋画劇場でよく見たパニックムービーっぽくて許せちゃった。ご都合主義って、観客に向けたある種の愛情なのかもしれない。

異常な棒読み速読や、ヤシオリ作戦成功時のリアクションが激うすだったりと、とにかく冷静で業務的な映画だった『シン・ゴジラ』(それで大ヒットしたの改めて凄いわ)と、それとは正反対のとにかく観客ファーストな今作。これらを観て思うのは「ゴジラ」のキラーコンテンツっぷり。戦争、原発、そしていずれ来るであろう首都直下や南海トラフまで...あらゆる災害を、1体の怪獣をウロつかせるだけで描出できちゃうこの利便性の高さは改めて素晴らしいなと。また、そういった史実×怪獣モノの掛け算によって、B級になりがちなパニックムービーが、ひとつのメッセージを持った映画作品として変容する感じも独特。このシステム、卵焼き作りながらウインナー焼ける、仕切り付きのフライパンぐらい便利。これはもう、日本が保有する映画における「核」と言ってもいいんじゃないでしょうか。ウチの国にはゴジラがいるんだぜ?と、みんな胸を張って生きましょう。

山崎貴監督。日本商業映画のトップランカー。自分、変なカッコいい芸術映画とかにどっぷり浸かっていた学生時代とかは「商業クソ」的なキメェとんがりで自動的に嫌い宣言していたけど、態度改めます。売れてるものは良いし、良い物はいい。前述したご都合主義のこと。俺の大好きな先生が言っていた名言、

「きたないことを言えばきたない人になる。美しいことを願えば美しい人になる。沖縄のことわざです。私はまず生徒に美しいことを願う人になって欲しいんです。そのために私は、教師はあえてきれいごとを言うべきだと思うんです。首をかけても。そうでなければ、近頃の子はうなづいてくれません」(『金八先生 第5シリーズ』第12回より)

を思い出した。山崎監督は、商業のどセンターを直走りながらも常に自分で脚本を書き続けている。どれだけ「ご都合主義だ」と批判されようと、エンタメの追求のため、そして多くの観客のためにあえてそれをやっているんじゃないかと、今作を観て思った。同様に、庵野監督も自ら脚本を執筆する。ウルトラマン・仮面ライダー、ドラえもん・ドラクエ・ルパン。日本から生まれた名コンテンツのリブートを担ってきた両者が撮ったのが「ゴジラ」であり、いよいよそういうブランディングに、価値が、ハードルが上がってきている。果たして、次にこのバトンを渡されるのは誰なのか。めっちゃ楽しみである。

最後に。
俺、ゴジラの映画観たのこれが2作目です。
ゴジラってなんなん?
RYUYA

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