そうま

ゴジラ-1.0のそうまのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.5
山崎貴による、「シン・ゴジラ補完計画」。
そして良いところ+1、悪いところ-10の「ゴジラ-9.0」だった。

映像面においては邦画史における最高峰のものであろうVFXによるゴジラの圧倒的スペクタクルに興奮させられたし、まるでスピルバーグが撮ったゴジラかのような縦横無尽に動き回るアクションとサスペンスを楽しむことができた(『ジョーズ』や『ジュラシックパーク』のオマージュと思われるシーンがいくつもあった)。
ゴジラの造形においては、『シン・ゴジラ』では人間を裁く神、あるいは日本という国の問題点を浮かび上がらせる舞台装置として描かれていたのに対し本作では人間一人一人を認識して襲い掛かってくる「恐ろしい」モンスターとして描かれており、その違いも面白い。

⚠️以下ネタバレ注意⚠️



ドラマにおいては『シン・ゴジラ』で批判されていた「政府の視点からしか描かれていない」「エリート主義の映画」という点を、「市民視点」「政府への不信感」を取り入れ、主人公とゴジラの間に因縁を生じさせて個人の物語にすることで補完しており、そこは評価できると思う。
しかし、人命を軽視しすぎていた大日本帝国への批判をテーマにするなら主人公が特攻という選択肢を捨て、家族のために何としても生き残ると決意するところをドラマのピークに持ってくるべきだと思うのだが、「主人公が特攻し、ゴジラを倒す」というところにカタルシスを感じられるようにストーリーが積み上がっていた。(そして作中で特攻が成されるわけがないというのは観客の誰もが分かっているので脱出装置のサプライズ演出もサプライズとして成り立っていない。)
つまり敷島は大戦ではできなかった特攻を擬似的に果たすことで未練を、敷島以外の人達は大戦での降伏や本土決戦で戦えなかったことによる鬱憤をゴジラを倒すことで晴らしているように見えてしまう。
結果、「反戦」「反人命軽視」のメッセージもセリフ上のものに過ぎず、最後の敬礼同様映画の中で上滑りしていたように感じ、ゴジラに戦争や核や原発の表象を託した『ゴジラ(1954)』や『シン・ゴジラ』の様なものを期待していた自分からすると少し違和感を覚えた。

とはいえ、娯楽邦画としてはとても良いものを観られたと思っているので、この作品も是非ヒットして、また東宝には大予算をかけてゴジラを作って欲しい。
そうま

そうま