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時雨の記のotomisanのレビュー・感想・評価

時雨の記(1998年製作の映画)
3.7
 渡といい吉永といい、昭和の男、昭和の女を演じる代表格、しかも日本史の津々浦々、やんごとなき際から白刃の修羅場までくぐって来たというわけで見てるこっちがどこか構えてしまう。その肩の凝る感じというのも、それが渡と吉永であるからだ。
 だから何をしようと、おめえたちがそうするのなら、やってみろ、と腕でも組んで瞑目するしかない。それで二人、焼け棒っ杭に火が着いたように、われ等を撮れという事で、不倫に至るんだそうだ。

 この二人の変に力が入った感じ、妙に剛性が高いというか、柵も逆茂木もやっかみも押して通る感じを昭和の終わり、バブルの終わりを背景に、という事であって、しかし、どうもこの背景がやけにヤワすぎて、こちらのこころの構えがズッコケるわけである。やはりこの二人の組み合わせには帝国陸軍や世界大戦のような怪物時代を相手の方が似合っている。 ―――それなら高倉健の方がいいか?
 ともすれば邪恋と退けられそうな二人だが、二人の固い契りを阻むのが渡の心疾患と時間だけなような辺りも肩透かしとなる。もう一組、吉永の生け花の弟子にも妻子ある男との関係を悩む若者がいるのだが、彼女もただ顔を伏せるばかりで話にもならない。

 どうもこの無敵な二人の夫唱婦随にまで日本は第二の敗戦を喫するかのようで可笑しいといえば可笑しい。だから、運命的、渡が死んで吉永が後を追うかに見えてそうはならない事に、吉永の長そうな余生で、あと幾たびひとりの桜を目にする事か、その数を数えながら、また、息のある間の折節とを冥途の土産話として紡ぎ紡ぎ、渡にそれを語って聞かせる時の長さの増すのを愉しみと想像するのだろう。ただ、そんな場面に渡が似合いの相手かどうか?
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