東京国際映画祭コンペティション部門
『マジカル・ガール』『シークレット・ヴォイス』の鬼才カルロス・ベルムト監督作品。
もうこれグランプリでよくない?今のところダントツでよかった。
『マジカル・ガール』の緻密さと狂暴さ、『シークレット・ヴォイス』の美しさには及ばないが、どこに行くのか分からないストーリーテリングは健在。
主人公がつくるマンティコアというビースト、クリスチャンとの会話で出た顔を怖がるトラ、ゴヤの黒い絵(特に「我が子を食らうサトゥルヌス」)などよく考えてみると怖かったり、深かったりするそのさじ加減が流石ベルムト。
ディアナという名前からして神話を下敷きにしているのだろうか。ディアナはローマ神話の月の女神、その基であるセレネにはこんな話がある。セレネは羊飼いの美少年エンデュミオーンに恋してしまったが、彼は人間なので一瞬しか一緒に過ごすことができない。そこで不老不死ではあるが永遠に目覚めないようになったという。
ディアナが父を介護すること、そして同じように主人公を介護することはこのことを下敷きにしているのだろう。
クリスチャンが描いたトラの絵の意味、ゴヤの黒い絵への二人の思いの違い、冒頭の火事はなぜ起こったのかなど深く考えさせる。
ベルムト監督は「歪んだ愛」を描かせたら右に出る者はいない。火事=クリスチャンによって生じる身体の変化はパニック発作というよりも自分の性欲が暴露できないという抑圧への抵抗のようだ。そしてクリスチャンを性の対象としてまさしく五感で眺める。
フリアンはディアナと出会うことでクリスチャンとの関係性を断とうとするが、それはクリスチャンを本当には求めていることの裏返し。
そしてディアナのもう一つのギリシャ神、アルテミスとの関係も想像させる。アルテミスは純潔の女神であり、たまたま見てしまったアクタイオンを鹿に変えて自らの猟犬で殺されてしまうというエピソードがある。ディアナは冒頭で「恋人とかはっきりしてる時代の方がよかった」と語る。彼女は他の人とは違う恋愛観を持っていて、トラに帰られてしまったフリアンを愛でる、という見方もできる。
考えれば考えるほど得体の知れない怖さを感じる。やっぱりベルムトは本物だ。これからもっと世界中の映画祭賑わすと思う。