ワンコ

美と殺戮のすべてのワンコのレビュー・感想・評価

美と殺戮のすべて(2022年製作の映画)
5.0
【この映画の持つ意味を考える】

女優のウィノナ・ライダーはオピオイド系鎮痛薬「オキシコンチン」の過剰摂取が過去に報じられたことがある。
ジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ ・プラネット」は印象的で日本にもファンは多いが、僕もウィノナの大ファンだ。

彼女は数十にものぼる医師から処方箋をもらってオキシコンチンを大量に服用していたのだ。

ウィノナは過去に過剰なイジメを受けていたことがあり、当初は何らかの疼痛(とうつう)があったためにオピオイド系鎮痛剤を処方されていたのだが、向精神性があり多幸感も伴うことから、イジメの精神的な苦痛から逃れようとしてこれを多用するようになったのだ。

この「美と殺戮のすべて」は、オピオイド系鎮痛剤のひとつ「オキシコンチン」の製薬企業パーデュー・ファーマとそれを支配するサックラー家に対する抗議として、サックラー家が多額の寄付をしている美術館や博物館に彼らからの寄付を拒否するよう促す活動を記録した長編ドキュメンタリー作品だ。

「美と殺戮のすべて」は、昨年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされていて、時期が時期だったために最優秀賞は「ナワリヌイ」だったが、近年のドキュメンタリー作品の中では、二つの展開からなる構成や、直接的には描かれていない社会病理の示唆も含めてリテラシーが要求されるとても秀逸な作品になっていると思う。

多くの場合こうした薬品に依存すると、その人の人間性が云々されることが多い。

意思が弱いとか、心を強く持てとか。

だが、実は僕たちの社会自体に病理はないのだろうか。

(以下ネタバレ)

抗議活動と並行して語られるナン・ゴールディンのパーソナル・ヒストリーは、彼女の為人(ひととなり)を理解するためだけのものではない。

ネグレクト、姉の自殺、イジメ、恋人からのDV、ゲイカルチャーとの邂逅、エイズ、苛烈な差別、被写体でもある多くの友人との死別。

これらの中には、僕たちの社会の病理も存在しているのではないのか。

そして、こうしたところから生まれる人々の苦痛に群がるような製薬企業や医師が、人々と薬物を結びつけるのだ。
製薬企業は安全性を謳い、医師は重複の処方箋がないか確かめさえもしない。

この作品は、苦しんでいる人に声をあげて良いのだと促すと同時に、社会にある病理にも目を向けさせようとしているのではないのか。

終盤にゾッとする場面がある。

ナンの両親がダンスするところだ。

治療が必要なのはナンの姉ではなく「母親だった」「両親は子供を作ってはならなかった」とのナン自身のインタビューの言葉の後だったこともあり、ホラー映画の一場面をみたような嫌な感じがした。

実は、こんな親は多いのではないのか。

そして、ナンにとっては、両親もサックラー家も同じだったのではないのか。

だから、姉を死に追いやった両親をどうしても許すことが出来なかったように、友人や弱者を死に追いやっても反省の素振りさえないパーデュー・ファーマやサックラー家を許すことが出来なかったのではないのか。

両親とサックラー家は同じなのだ。

50万人の死、1兆ドルの経済損失、104億ドルの引き出し、60億ドルの賠償金。
×150円で計算してみてください。

真っ先に寄付を拒絶したのが、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーであったことは何かナンの作品との繋がりも感じられてちょっとうるってした。その後、テート・ギャラリー、ブリティッシュ・ミュージアム、MET、グッゲンハイム、ルーブルと次々と寄付が拒絶される。アートは全ての人のためにあるのだ。

この作品は構成や物語性から考えても秀逸なドキュメンタリー作品だ。
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