ほぼひとつのレストランの一室で繰り広げられる会話劇。これはアダム・マッケイ版『深夜食堂』なのです。食の『ミッドサマー』かも。とりあえずもっと失望と風刺と階級社会を利かせた。
もう後ろの海の合成っぷりとかあまりにも「まんま」すぎたけど、興味深い映画だった
ここからネタバレなので見てない方は読まないで
タバコを吸うなよ。舌のパレが麻痺するよ。これから美味しいもの食べるのに。
から始まる。
「牡蠣に味付けなんかいらないのに」
の一言でアンチ姫キャラのマルゴがどういう人間かがわかる。(私の本名は違うって言ってたけど)
とにかく、客各人がなにを代表してるか?
ヌーボーリッチの投資家
売れてるがくだらない作品にしか出ない役者
料理の写真ばかり撮り、うんちくを垂れる一般人
スノッブの料理評論家
金持ちで自分が何でも動かしてると思ってる老夫婦
世の中から見捨てられた老母
すべてがすべてなのだ。レストランに通いレストラン産業を支えてるのはこれらの人たちだろう。普通の人は写真を取ってアップするあの彼氏である。
食べてはいけない、味わうのだ
と神のように演説するシェフに感動する客たち。
意味の分からない絵文字とうめぼしの下りなど日本語の氾濫を風刺もしてるし。これはチーズバーガーとの対極ね。
そしてパンなしのメニューが出てきたときにぐっと惹きつけられた。やばいこれはなにかある。と。彼氏とか泣いてたもんね。
料理クリテイックは眼の前で人が死んでもこれはレストラン側からの客人に対する何かの演出なのだとずっと自分に言い聞かせてたあの滑稽さ。
彼氏は死を覚悟してきた割になぜか軽い?
自分の運命を知ってたにせよ、最後のシェフはなにを耳打ちしたのか。。
前回食べたお魚を答えられなかった老夫婦との会話でまた悲しそうな顔をするシェフ
これだけスノッブをバカにする映画監督はさぞかしスノッブなんだろうと思ったね。
残念なのは、映画にスパイスを与えようとしたのか血のシーンがやたら多かったのはどうだろう?私はあまり好まなかったな。ただ、女同士の厨房乱闘や、女同士の食事シーンはとても今っぽいと思った。
直接的には自然保護も食料ロスはそれほど言ってないところにこの脚本の上品さが伺えた。料理人視点だからかそういう展開ではない。
それでも食っていかなきゃいけないんだよ。映画製作も料理界も料理批評家もワイン業者も全部。このエコシステムはいつか壊れるかもしれない。いや壊れている。それでも人々は今日もレストランで出された料理をSNSにアップし自分の階級を誇るのだ。