寝不足だった。だから長い映画、心配だった。眠くはならなかったが、幅広い人が観るには、そして、興味を持ってもらうには、もう少し短くても良いのかなと思った。
きっと、取材を重ねてるうちに、どこも切るところが出来なくなるのだろうねと一緒に観た友人と話した。
さて、わたし自身、同和問題(この同和という言葉自体が問題だと映画を観て知った。)とは関係の無いところで生きてきた。
初めて知ったのは恐らく学生のころに読んだ島崎藤村の破壊。でもピンと来ていなかったと思う。ピンと来ていないけれども強烈に心に残った。
そして、20代のころ、とても賢い友人がいた。その友人がすこぶる働き者で、昼間は普通のOLをしながら、夜はなんとスナックでバイトを始めた。
お金に困っているわけでも無いのに何故?と思ったが、ただでさえ賢いのに、ますます新聞を隅から隅まで読み、本を読み漁り、同い年ぐらいだったのに、すごく大人に見えた。
その友人が、「お客さんと同和問題の話しになり、自分なりの意見を言ったら、若いのに知っててすごいねと褒められた」と嬉しそうに話してくれた。島崎藤村でしか知らなかったわたしは、その友人の話しが忘れられなくなった。
さて、スナックで働くのに何故いっぱい本読むの?と思っていたわたくしって子供だったのだ。人生も折り返しを過ぎて、ああ、水商売というのは、賢くなければできないものなのだなと理解している。
そうやって、水商売、、、って心の中で思ってしまっていたのだって差別。
これからの時代、差別はダサいと思われるようになるのではないだろうか。そうは言っても自分はアジア人だから差別される。それはなかなか無くならないだろうと思う。
でも、部落差別ってそれと一緒なの??人種差別とは違いますわよね?!だって、同じ日本人なのだもの。
難しくて難しくて本当に分からない。差別される明確な「しるし」というものは無いのだそうな。それって当たり前じゃないの?だって同じ日本人なのだもの。
血液検査して分かるものでも無いのだろう。朝鮮人がルーツの人ももしかしたらたくさんいるのだろう。
批判されそうだが、アホだなぁと思ってください。こ、これって、気にしない若者がどんどん増えて、知らんぷりしていたら、あと100年ぐらい経ったら部落差別なんて無くなるのでは?と思うのはアホ過ぎる考え方なのだろうか。
部落差別の歴史は古いのは当然分かっている。そう簡単にはいかないのだろうが、もう令和だもの。良い意味で深く考えない人間が増え、そのまま風化しないのだろうかと思う。
映画に、被差別部落に生まれた兄弟が出てきた。兄は深く考えているが、地区を出て、遠くに住む弟は「良い意味で重要視していない」と言った。
どっちが良いか分からないが、意識しないのも差別を無くすのには良いことなのでは?と思ってしまう。
だって、日本と韓国のあれこれだって、もし何も興味を持たずに勉強もせずに無知のままの方が、差別する気持ちも無くなるのでは?と思ってしまったりするのだが。
しかし昔も今も就職、結婚など、問題は山積み。宮部さんという部落探訪している人もいったいどういうつもりなのか分からなかった。「部落 宮部さん」と調べると出てくる。
お肉は美味しく食べるのに屠場で働く人のことは差別する日本人、、、うーむ。本当に難しいなぁ。書いても書いても何も終わらない。
いつにも増して長くなったが、最後に書きたい。
映画の中に福沢諭吉の言葉が出てきた。有名な、「天は人の上に人を造らず、、、」そこしか知らないと、皆平等だと解釈してしまう。しかし、「されど、、」と続きますのよね。
身分の差や貧富の差はどうしたってあるのだから、その差を埋める為にも勉強をしろってね。やはり知らんぷりする訳にはいかないのかもしれませんわね。あー、難しい。