ろく

すずめの戸締まりのろくのレビュー・感想・評価

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
4.5
匙加減が絶妙。

いや上手い。まず思っているのは見ているものを引き込む力ね。ロードムービー、恋愛、出会い、家族愛、さらにはサスペンスと(ありきたりだけど)見ているものを引き込む力がこの映画にはあるの。だからまさに手に汗握る。

でもその一方で「考えさせる」というシステムがこの映画にはある。僕らは震災をどうやって「けりをつけるか」そのことをこの映画では突きつける。不謹慎だという言葉が出るくらい、僕らは3.11について考えてしまう。残った人を、亡くなった人を、どう「けりをつけるか」(この言葉の言い回しが非常に不穏当なのは分かっている)、それに対して新海は「思考」を強制する。

そしてこの映画は「考えない」と「考える」が絶妙なタイミングでスイッチバックするんだ。まさにフィフティフィフティ。これが少しでも「考えさせる」に傾くと好事家の中だけの映画になり、いい映画だけどエンタメでは「なくなる」(残念なことに僕はそれこそ「君たちはどう生きるか」だと思っている)。その一方で「考えない」に傾けばワイスピや銀魂、あるいはベタな恋愛ジャニーズ映画に成り下がる。

そうなんだよ。そこの非常に危うい綱渡りをこの映画はやってのけたんだ。見事だと思う。確かに「考える」側からも「考えない」側からもどっちつかずの意見をもらうかもしれない。考える側からは3.11への考察はもっと丁寧にやるべきだと。考えない側からは3.11を想起させるのはやりすぎだと。でも僕はそれでも表現者としてでありながら映画作家としての立ち位置を強固にした新海にやはり「見事」だと贈りたいんだ。

序盤戦のロードムービーなんかでまずやられてしまった。これは逆ヴェンダースじゃないか。「都会のアリス」をそのまま見せた。その一方で中盤から後半は(ベタだけど)見事な映像とスペクタクルでアニメの楽しさを見せて(感じさせて)くれた。最後はまさに手に汗握って「考えない」。でもその後で「扉を閉めるという行為はなんなのか」「椅子はなぜ三本足なのか」「叔母との葛藤は震災の被害者にとってどのようなことなのか」「挨拶は僕らの関係をどう作っていくのか」いくつもの「考える」が思い浮かぶ。それは最後のスペクタクルが終わってまさに静寂になるときにだ。その時この映画のたくらみに僕は嵌ってしまったことに気付く。黒沢が「映画について語ることが出来ないけどなぜか心に残るのがあってそれにもやもやする」と言う話をしていたのを思い出す。映画を見たときには我を忘れているくせにその後にふっと立ち止まってしまうときが。黒沢は言う。

「それが映画なんだよ」


※新海は全2作でずいぶんと期待されていたはずなんで、その期待を見事に乗り越えたのには驚いてしまった。敵も悪も明確でない映画なのにここまでやるとは舌を巻く。でもこのクオリティでこのまま続くのか老婆心ながら心配である。細田守のように失速しないことを祈る。

※相変わらずアニメーションのクオリティにも舌を巻く。ここまでの「画」を描かれてしまったらもうシャッポを脱ぐしかないだろう。ただ近年はどのアニメも画が見事なんで昔から見ている人間としては寂寥の想い止まずである。
ろく

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