Ryosuke

攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2のRyosukeのレビュー・感想・評価

攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2(2022年製作のアニメ)
5.0
ボードリヤールのシミュラークルとシミュレーションという概念を、攻殻機動隊の超高度な情報化社会に落とし込んだ新しいリアルが描かれているように思った。

「個」という境はすでに曖昧になりがちであったこれまでのシーズンに対して、今シーズンでその境は無くなった世界が描かれていた。と考えます。

オリジナルなき模倣者達が結果的に集団的行動を取るというスタンドアローンコンプレックス。
スタンドアローンコンプレックスとは、つまり、コピーがオリジナルに先行してオリジナルでもコピーでもない独自の価値観が複合的にそれでいて組織立っているように創出されるという解釈でいます。

「個」の曖昧さ。
笑い男という記号がネットを伝播する事で独自の笑い男像が模倣により創造された。
偽物と本物という二項対立の垣根はネットの海を彷徨う中で消失し、オリジナルを特定することに重きは置かれていない。

むしろ複製された記号に新たに付与されたイメージがリアルを構築する。
「個」は消えて、集団と同化し新たなリアルに倣う。

「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。」
口当たりの良い情報を何でもかんでも消費しようとする盲目的な人々にクゼは復讐を考えた。
オリジナルだろうがコピーだろうがリアルを反映する独り歩きした情報を貪り食う「個」を消失した集団への復讐。

匿名性に埋もれ、「個」を失い徒党を組む集団が個人を攻撃するシンクポルなんかもスタンドアローンコンプレックスを利用したもの。
今シリーズ、主観の演出が多く、ゲームのようでインジケーターや広告が視界に介在する事が多いことも関連するかと思います。「個」の境を越えることは容易で情報と接続が可能である示唆ではないか?

そして「個」が既に微妙で曖昧となっていた社会に対して、遂に「摩擦の無い」世界の実現を良しとした。
ラストの曖昧な描き方そのものが境界の無い世界そのものである気がします。
ネットと融合を果たし上部構造へ移行する目論見を図ったクゼもまた、摩擦の無い世界(全身義体とゴーストの不一致という個人的問題の解決も願って)を異なる手法で、目指そうとした。
「個」という外郭は無くなるが自意識までは失われていない。
「個」を統制する必要が無くなったから、
各々のイメージとリアルが同一線上で矛盾なく存在する。
真でもあり偽りでもある状態。
Nでない第三者から見るとあれ??なんかおかしくて気持ち悪いぞと思うわけです。
物凄く恐ろしい様な、なんとも言い難い感情が逡巡しながら終えました。

ポストヒューマン発症因子がよく分からず、クゼの様に常人離れした強い信念があったからこそ1A84に飲み込まれなかったのか、なぜ他者と違い発症条件が異なったのか、いまいち分からんのです。また持続可能戦争という構造も最後まで納得がいかなかった。のでなんだか腑に落ちない点が残るけど。ネットは広大なので色んな解釈と並列化したいと思います。
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