o219028tさんの映画レビュー・感想・評価 - 4ページ目

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トルテュ島の遭難者たち 4Kレストア(1976年製作の映画)

5.0

美は様々な結び付きで出来ている。その魅力は、形而上学的で独自な真実から引き出される。その場合、真実とは均衡、不均衡、びっこ、不釣り合い、飛躍、休止、蛇行、それに直線などの積み重ねで表現されるが、そこで>>続きを読む

ママと娼婦 4Kデジタルリマスター版(1973年製作の映画)

5.0

この映画のヌーヴェル・ヴァーグ的な性格は映像よりも「言葉」に支えられている。映画的環境での引用という仕草は、いくらでも対象を操作しうる恣意的な運動であるかにみえて、じつはいささかも恣意的ではありえない>>続きを読む

バルドー/ゴダール 2Kレストア(1963年製作の映画)

4.0

「私が映画で気づいたのは、当初の予定とほぼつねに正反対のことをしても、結局、やはり最初に想像していた通りの仕上がりになるということなんだ」つまり、これは── 即興──「ああ、これは作り物ではなく、本物>>続きを読む

フィフィ・マルタンガル デジタル・レストア(2001年製作の映画)

5.0

理解癖──人々の住む世界は、筋道が立っておらず、矛盾だらけで、理解し難いのに──理解癖は「映画≒夢」という事実を拒もうとする。ジャック・ロジエの素晴らしい非論理性と、この映画の自由闊達な画面連鎖のもた>>続きを読む

メーヌ・オセアン 4Kレストア(1985年製作の映画)

5.0

この映画を見ている時の「映画を見ている」という感興は「映画≒夢」という事実によって支えられている。映画とは誰かの語るではなく、一種の催眠の力を借りて、我々が一緒に見る夢である。ここで言う夢は、夢の素晴>>続きを読む

別れる決心(2022年製作の映画)

5.0

ショット──あらゆることを意味しながら、しかるべき特定の意味を持たない」もの──ここには、視線を惑わせたり、瞳を惹きつけたりするショットだけが刻み付けられている。

ぼくの小さな恋人たち 4Kデジタルリマスター版(1974年製作の映画)

5.0

ここにはユスターシュが明らかにした映画的真実「観察」と「模倣」がある。この映画の主人公(若き日のユスターシュ)は話すことよりも見ることを選択するが、ただの観察者に留まっている訳ではない。彼は観察者であ>>続きを読む

サンタクロースの眼は青い 4Kデジタルリマスター版(1966年製作の映画)

5.0

全ての映画は個人に向けられた救いを目的としているわけではないはずだから、もしかすると、この「個人映画」も積極的に何でもないものであるのかもしれぬ。しかし、この映画が呟く「個人」は、緊張し緩和する「映画>>続きを読む

わるい仲間 4Kデジタルリマスター版(1963年製作の映画)

5.0

この映画は、低層階の一室と思しき場所から人物の頭上を捉えるショットから始まるのだが、これが実にヌーヴェル・ヴァーグ的である。この自由闊達なショットは、私たちにカメラの後ろを想像させる。スクリーンに含ま>>続きを読む

インスペクション ここで生きる(2022年製作の映画)

4.0

この映画が呟く「個人」の射程は極めて長く設計されている。この映画の受け手は、その性的指向に関わらず、この映画を一つの符牒として共有し、互いに目配せだの頷き合いだのを交わし合うことさえ出来る。個人に隠蔽>>続きを読む

ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE(2023年製作の映画)

4.4

この映画は、トム・クルーズの身体運動によって、ハリウッドの定番的な画面を自由闊達なものにしている。また、この映画には身体運動の孕むサスペンスがある。つまり、一瞬ごとに運動が加速し、運動とスペクタクルが>>続きを読む

バービー(2023年製作の映画)

4.0

ここには様々な映画的記憶が濃密に染み付いていて、それは作り手が語らんとすることを端的に表現するために始動する。すると、それは受け手の記憶の表層に“知”として一気に浮上する。この映画は、現代的な物語と題>>続きを読む

マイ・エレメント(2023年製作の映画)

4.0

最も個人的なことが最も創造的である。明らかに個人的な性格のアニメーションが現実の混乱を止揚し、一種の美的な要約が起こり、洞察の代わりをしている。

カールじいさんのデート(2023年製作の映画)

3.6

この短編アニメーションには、ふとした時に画面の一カ所が非常に上手く作動している瞬間がある。こうも容易く現実を複製してしまうのかとハッとさせられる瞬間が紛れ込んでいる。

マリア・ブラウンの結婚(1978年製作の映画)

5.0

これは演劇(表象的リアリズム)を標榜する作家による心理的リアリズムの映画のようだ。現実の生における知覚・認識的な表象作用の透明性ではなく、カメラの目と一体化する映画的表象装置の中に観客を取り込む。そ故>>続きを読む

天使の影(1976年製作の映画)

3.8

演劇、それはカメラの目ではなく「私の目」で見るもの(表象的リアリズム)。映画、それはカメラの目と「私の目」が同一化させられるもの(心理的リアリズム)。「天使の影」それは演劇と映画が共謀し、対立するリア>>続きを読む

不安は魂を食いつくす/不安と魂(1974年製作の映画)

5.0

ファスビンダーは、演劇と映画の交配によって、生み出された混血種の作家である。彼は映画の中に演劇的な性格を融解させようとはせず、カメラの持つ可能性によって、むしろ演劇的な構造や、そこから生じる心理的な効>>続きを読む

サントメール ある被告(2022年製作の映画)

4.8

この映画はドキュメンタリーの作られ方をした劇映画である。テクスト(法定記録)に運動と感情が乗せられた画面には、作り手の主観的な思考の痕跡は殆ど残されておらず「仮借のない吟味の機械(カメラ)」が会話と彼>>続きを読む

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(2023年製作の映画)

4.0

言うまでもなく、この映画の主題論的な統一は、インディ・ジョーンズの老いによって維持されている。それは映像の枠内における各種要素(俳優、大道具、セット、空間)に演出されている。映画という時間体験の中で一>>続きを読む

Pearl パール(2022年製作の映画)

4.8

このシリアルキラーの映画には、安堵感がある。それは、どこかで自身の中にあった何かに似ているのではないかという安堵感だ。この映画にはシリアルキラーに安心を見出す驚きがあり、それが不思議な世界の表象性を支>>続きを読む

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース(2023年製作の映画)

5.0

この映画との出会いを僥倖たらしめるものは何か。それは「細部が見せる一種の色気」と「安心」である。色気とは、存在の気配である。存在している物の影が描かれている以上の何かを見ている者に語り掛けるということ>>続きを読む

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)

4.8

人物が疾走すれば、画面も疾走する。人物が階段を駆け昇れば、それに応じて画面の視野も拡大される。人物が並ぶと、画面は人物たちの関係性を示す。人物が遠方に立つと、画面は第三者の介入を許す。人物が背中を見せ>>続きを読む

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)

5.0

この映画は宮崎駿による「8 1/2」であり「ホーリー・モーターズ」である。これは如何にして作家の内面─記憶だの、意識だの、心理だの、悩みだの─を視覚化するかという問いに他ならない。つまり、この映画にお>>続きを読む

大いなる自由(2021年製作の映画)

4.6

この映画は、少ない言葉と身体、刑務所にある必要最低限の道具を使って、受け手のエモーションを刺激する。手巻き煙草、根本まで燃えるマッチ、青い囚人服、灰と唾と針、聖書は、この映画作家が触るか触らないうちに>>続きを読む

RRR(2022年製作の映画)

4.4

映画にとって重要なのは、それが飽くまで「存在」であるかに見える紛い物でしかない、ということである。そして、その紛い物を目にすることの「現実」性こそが問われねばならない。この映画に映っている現実は、男た>>続きを読む

ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972年製作の映画)

4.0

ファスビンダーは、演劇と映画の交配によって、生み出された混血種の作家である。彼の演劇的な映画は「動きを止めること」によって、その主題論的な統一が維持されている。この映画において、人間の身体が不動から動>>続きを読む

苦い涙(2022年製作の映画)

4.6

今日、映画的記憶を欠いた映画は存在しない。独創的な作家と思われる人から凡庸な作家と見做されている人に至るまで、あらゆるシネアストは、意図的であると否とに関わらず、映画自身を反復(引用、或いは翻案)する>>続きを読む

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)

4.6

この映画の作り手には、物語の通俗性を超えたショットを撮る力と卓抜な編集の力が具わっている。この映画が見る者を魅了し尽くすのは、物語の水準においてではない。それを語るに費やされるショットの連鎖においてで>>続きを読む

Rodeo ロデオ(2022年製作の映画)

4.4

映画におけるバイクは「機械仕掛けの馬」であり、映画における馬の決定的な優位の一つは、その直線的な疾走にある。それのみか、人間が跨り、手綱を引くことによって、その直線的な運動を意のままに操作してみせるこ>>続きを読む

アシスタント(2019年製作の映画)

4.6

この映画において(或いは、現実においても)多くを語ることが許されていない彼女は、内的な事態を反映するかのように身体を運動させる。だから、受け手に響く。この身体の動かし方はシャンタル・アケルマンの「ジャ>>続きを読む

怪物(2023年製作の映画)

5.0

現実に起こり得る(或いは、起きている)世の中の混乱を止揚し、鋭く洞察しているのは、紛れもなく明らかな映画的な性格である。正しくない世界を振り切ろうとして内にある感情を残らず発散させながら走る姿は、モー>>続きを読む

マリとユリ(1977年製作の映画)

4.4

この映画は隠蔽された葛藤を顕在化せしめ、発信者と受信者の距離を零に還元し、その差異を廃棄する。この映画において、彼女が語る「個人」は、社会に抑圧される女性たちの代名詞たり得るのだ。

アダプション/ある母と娘の記録(1975年製作の映画)

4.4

政治的背景や父権主義は、視線の映画を生む。この瞳の運動は、誰にでも許された単純な運動であるが、沈黙を強いられた者たちにとっては特権的な表現の一つである。東側諸国に生まれた女性としてのメーサーロシュが視>>続きを読む

ドント・クライ プリティ・ガールズ!(1970年製作の映画)

3.6

この映画におけるメーサーロシュの分身は、彼女自身に等しく、まだ猫を被っているが、その作家性を隠しはしない。彼女は個人を取り巻く不当な世界を撮る。寄る辺なさを撮る。眼差しを撮る。

ナイン・マンス(1976年製作の映画)

5.0

この映画に映っているものは、既にトリュフォーが撮っている。彼は彼女よりも先に自らの分身を撮った。個人を取り巻く不当な世界を撮った。寄る辺なさを撮った。眼差しを撮った。しかし、この映画には彼女にだけ許さ>>続きを読む

ふたりの女、ひとつの宿命(1980年製作の映画)

4.8

メーサーロシュは家族未満の共同体に纏わる物語を変奏する作家である。それは彼女の明らかな刻印として「アダプション/ある母と娘の記録」「ナインマンス」「マリとユリ」にも深く打たれている。つまり、彼女は全て>>続きを読む