o219028tさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

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ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)

5.0

この作品の素晴らしさは、あらゆるショットが簡潔きわまりないという点につきている。優れた監督たちは、被写体に向けるカメラの位置やそれに投げかける照明、そしてその持続する時間など、どれもこれもがこれしかな>>続きを読む

Here(2023年製作の映画)

5.0

仮借のない吟味の機械が、ついに完成される瞬間を持つことなく不断に更新される現在に接近したり、遠ざかったりすることによって、わたしたちの瞳の代行手段となるばかりか、それ以上に驚くほど豊かな世界の無限の拡>>続きを読む

ストップ・メイキング・センス 4Kレストア(1984年製作の映画)

5.0

この作品との出会いを僥倖たらしめるものは何か。それは身体の運動──歌を歌うこと、楽器を弾くこと、音楽に合わせて踊ること等々──と、それに当てられる照明と、それを画面に生成するために接近したり遠ざかった>>続きを読む

最悪な子どもたち(2022年製作の映画)

4.2

映画。かりに、それがどれほど「真実らしい」光景を見るものに提供していようと、それはあくまでも「真実らしさ」にほかならず、すなわち「真実」のまがいものなのであって、間違っても「真実」そのものでない。その>>続きを読む

哀れなるものたち(2023年製作の映画)

5.0

明らかに寓話的な性格は比喩的な饒舌に重くたわむことのない簡潔さでひたすらエマ・ストーンの身体の運動をあたりに波及させることに貢献している。
つまりは抽象的な水準で誰もが想像しうる比喩にのみ還元してしま
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サン・セバスチャンへ、ようこそ(2020年製作の映画)

3.8

この作品を見るということは、ウディ・アレンの個人的な映画にわけ入るということである。
いま個人的と呼んでおいたものは、排除や選別の仕草ではない。
個人的であるとは、つまりは、何ものかからの差異を誇示す
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ノスタルジア 4K修復版(1983年製作の映画)

5.0

被写体に接近すること。
それは、誇張や逸脱が可能な領域であり、そこで人目を惹く過剰な細部は、被写体の輪郭が何かを確定するだけではなく、そこからこぼれ落ちそうになるものさえもすくい上げる。
被写体から遠
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ガートルード/ゲアトルーズ(1964年製作の映画)

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ほとんど交わらない視線の交錯しあう奇妙な室内空間がもたらす演劇性が、どうしてこれほどわたしたちの映画的感情を動揺させるのか。そこでは、室内にある鏡も、写真も、二人の人間も、全てが色気を画面に定着させて>>続きを読む

僕らの世界が交わるまで(2022年製作の映画)

3.6

物語を万遍なくたどること、そして語られている事態を通して、そこから浮きあがってくる作者の思念ともいうべきものを納得すること。これが果たして映画を「見る」ということなのか。
この映画には運動感覚もないし
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奇跡(1954年製作の映画)

5.0

わたしたちが「奇跡」に惹きつけられるのは、その古典的な画面つなぎのリズムにもまして、それがもたらす唐突な開放感ゆえなのだろう。しかも、それが規則にかなったリズムのもたらす安心感ではなく、規則とは無縁の>>続きを読む

ミカエル(1924年製作の映画)

5.0

「ミカエル」の作品世界は「見ること・見られること」「描くこと・描かれること」の主題が織りあげる錯綜した戯れの場からなっている。われわれの映画的感性を動揺させるのは、この主題が物語の展開を支えているから>>続きを読む

東京の女(1933年製作の映画)

5.0

小津が「東京」の二文字にこめた暗さは、一九三〇年代にあっては、とりわけ「東京の女」に色濃く浸透している。「東京」の二文字の背後には、金銭をめぐる厄介な問題が横たわっており、父親や母親、あるいはそれに代>>続きを読む

非常線の女(1933年製作の映画)

5.0

その物語の軸になっているのは「着換えること」。ここでも人は「着換えること」で近づきあい、また別れてゆく。ここでの田中絹代が「着換えること」という小津的な主題を如実に体現する女性を演じている。そのとき、>>続きを読む

その夜の妻(1930年製作の映画)

4.2

「その夜の妻」の物語は、それ自体として感動的なものを含んではいるわけではない。そればかりか、小津の説話論的な持続の生々しいリズムが刻まれているわけでもない。それなのに、われわれの映画的感性を動揺させる>>続きを読む

青春の夢いまいづこ(1932年製作の映画)

4.4

身振りや視線の等方向性は初期の小津のいたるところに見られる。そこには視覚的効果以前に小津の遊戯性が反映しているといえるかもしれないが、その運動の等方向性によって感動的である。ほとんどの登場人物が同じ歩>>続きを読む

浮草物語(1934年製作の映画)

5.0

この映画を見るにあたって、あからさまに再映画化された「浮草」の相対的な偉大さを確信していく行為は重要でない。ここにある徹底された小津の説話論的な構造の響きを確かめていくことこそが重要なのだ。
例えば、
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吸血鬼(1932年製作の映画)

5.0

映画と夢は驚くほどよく似ているといわざるをえない。ここで言う夢は、夢のすばらしい非論理性によってつながり合う現実の行為の連続、というほどの意味である。だから、それを見る人々がそれらの行為を、同じように>>続きを読む

裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)

5.0

ドライヤーの仰角ぎみのクローズアップを見ているうちに、映画自身を凝視しているかのような錯覚におそわれる。もしくは、映画自身というより、その限界に瞳を向けているというべきかもしれない。ここで言う映画自身>>続きを読む

あるじ(1925年製作の映画)

4.0

何の変哲もない光景に、やがて深い意味がこめられていたことがわかるというショットの「反復」のうちに、この映画の洞察が生まれ落ちる瞬間を見ることができる。
この映画を見ることは、スクリーン上に展開される同
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怒りの日(1943年製作の映画)

5.0

この映画が煽りたてる映画的感性の昂ぶりは、誰もが間違いなく瞳を差し出していながら、抒情とは折り合いが付かぬが故に見落とされがちな陰翳豊かな照明の力からくる。
表層に露呈したものの輪郭や影の濃淡の戯れを
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ウェンディ&ルーシー(2008年製作の映画)

5.0

ライカートは、接近することより、遠ざかることの映画性に充分すぎるほど自覚的なはずだ。ウェンディがルーシーから遠ざかるショットを見おとしてはならぬ。そのショットは、この「遠ざかる」仕草こそ優れてライカー>>続きを読む

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)

4.0

ヴィム・ヴェンダースのフィルモグラフィーから解釈するのであれば、小さな和の中を移動するロードムービーとでも言うべきか。あるいは、反復と対比、同調する運動でできあがった映画と言うべきか。もしくは、肯定的>>続きを読む

ショーイング・アップ(2022年製作の映画)

4.2

この映画もまたジャンルの規則の上に成立しているように見える。
ライカートは、接近することより、遠ざかることの映画性に充分すぎるほど自覚的なはずだ。しかし、この映画はコメディーという体裁を取って、接近す
>>続きを読む

ファースト・カウ(2019年製作の映画)

5.0

地平線をフレームのどの位置に収めるかが映画を決定する。
いったん地平線が鮮やかに構図を決定すると、被写体に向けるべき彼女のカメラはほぼ完璧である。しかも、その完璧さが堅苦しさからは思いきり遠いなだらか
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オールド・ジョイ(2006年製作の映画)

5.0

この作品の素晴らしさは、あらゆるショットが簡潔きわまりないという点につきている。優れた監督たちは、被写体に向けるカメラの位置やそれに投げかける照明、そしてその持続する時間など、どれもこれもがこれしかな>>続きを読む

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)

4.2

ライカートは、ハリウッドの古典的な映画の伝統にふさわしい撮り方(スタンダードサイズ)に徹しているが、ジャンルの規則を捻るある種の批評行為に見える側面がある。「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ>>続きを読む

枯れ葉(2023年製作の映画)

5.0

カウリスマキは、被写体に向けるカメラの位置やそれに投げかける照明、そしてその持続する時間など、どれもこれもがこれしかないという決定的なものだというかのように作品を仕上げてみせる。正解はないにもかかわら>>続きを読む

カラマリ・ユニオン(1985年製作の映画)

5.0

これは素晴らしい画面に支えられている映画だと思う。成功した画面の映画の特徴として、人は、もっと見ていたいという呆気なさとともフィルムと別れを告げなければならないという事実が挙げられる。アンドレ・バザン>>続きを読む

罪と罰(1983年製作の映画)

5.0

カウリスマキが撮る画面にはブレッソンとカサヴェテス、小津に対する憧憬が生成されているように思う。映画的記憶の厚みにわけ入るようにして撮られたかのような画面をもっと見ていたいという呆気なさとともフィルム>>続きを読む

ビデオドローム 4K ディレクターズカット版(1982年製作の映画)

4.0

ビデオドロームは未来を予見する時間的価値という機能を備えている。クローネンバーグが取り組んでいるのは、誰もが潜在的に抱えている予感をどのように可視化するかという問題に他ならない。つまり、クローネンバー>>続きを読む

欲望の翼 4Kレストア版(1990年製作の映画)

4.2

脚のない鳥は立ち止まることができず、飛び続けるしかない。現在地や目的地といった相対的な感覚はおろか、安住の地もない。景色は通り過ぎ、他者とはすれ違う。行くあてもなく飛び続けている鳥には未来がない。夢や>>続きを読む

いますぐ抱きしめたい 4Kレストア版(1988年製作の映画)

3.8

一つの映画として見れば、いささか凡庸かもしれないが、ウォン・カーウァイのフィルモグラフィーの中で見ると、ピカピカと輝いている。チンピラが1人と大筋が二つ、そして、何よりもウォン・カーウァイの刻印が三つ>>続きを読む

リュミエール!(2016年製作の映画)

5.0

映画とは運動と時間の芸術である。リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」にもショットはまぎれもなく存在していた。ワン・ショットでありながら「ラ・シオタ駅への列車の到着」にせよ「工場の出口」にせよ、すでに運>>続きを読む

黒猫・白猫(1998年製作の映画)

5.0

結婚をめぐるドタバタ騒ぎのコメディーに旧ユーゴスラビアの内紛を取り巻くソ連とアメリカの外交が透かし模様になって描かれている。明らかに芸術的な性格が現実の混乱を止揚し、一種の美的な合理化が起きて、歴史的>>続きを読む

こわれゆく女(1974年製作の映画)

5.0

人は本当に思っていることが言えない。核心を伝え合うことができないまま、核心の周りを旋回し続ける。しかし、意に反して「かお」は語り出す。それは、当人の内的な事態を反映するかのように視線や表情として「かお>>続きを読む

ナポレオン(2023年製作の映画)

3.8

その題材をどの程度自分のものにして、画面を現在の体験へと引き継いでいるかということが映画監督たちにとって重要なことのような気がする。その意味では、この伝記映画に用意された高揚は、絵画的な記憶を刺激する>>続きを読む