2019/07/06 たんたんと詩作を続ける『パターソン』のバス運転手と違って、この少年の詩作は自分探しの手がかり。それにしてもこの少年、夜はどこで過ごしているのだろうか。『幸福なラザロ』に負けないく>>続きを読む
ふだんは見えない人間の本性が、事件をきっかけに露わになっていくという、お得意の展開が上手い。
映画史に残るディテールと大ネタが満載のマスターピース。それにしても、警察や司法とは別に、犯罪者集団が犯罪者を追跡・捕縛して裁判に掛けるという展開が凄い。また、感情移入の対象となる登場人物がないまま、あ>>続きを読む
パリもチュニジアも心地よい。ギィ・ジル自ら撮影するパトリック・ジュアネのクロースアップもさることながら、パリの観光ガイドやチュニジアの小母さんといった中年女性たちが魅力的だ。
カフェ「オー・パン・クペ」で待ち合わせる男女。そこから去って行った男が早々に落命し、そこから女の回想と現実とが交錯していく。この展開がお見事。パトリック・ジュアネのクロースアップに愛が注がれている。パ>>続きを読む
若気の至りの恋人たちの顔のアップと一挙手一投足に目が釘付けになる。色味を抑えたカラー画面の端正さにうっとり。唐突に高鳴るロマンチックな音楽にもうっとり。
ホドロフスキー映画にも比すべき奇想のオンパレード。ホドロフスキーが奇想を羅列するだけで映画としての体を為していないのに対して、本作は紛れもなく映画としての面白さに溢れている。
ロベール・アンリコ作品では『冒険者たち』『ラムの大通り』『追想』は心を打つけど、『オー』と本作はそれほどでもない。心を打つ作品の共通点は〈オヤジが主役〉というところかも。『冒険者たち』はリノ・ヴァンチ>>続きを読む
2022-07-03 追記
怪物と対峙し、最終的に退治するのは主人公の一家だ。警察や軍隊が怪物を攻撃する場面がない。
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避難所に現れた貧相で居丈高な黄色い防護服の男は、滑って転び、ハンディトー>>続きを読む
止むに止まれぬ情熱に突き動かされた変わり者が途方もないものを作り上げる。家族との関係が甘々に描かれすぎているように思えなくもないけど、たんたんと作り続ける様子が、丹念に描かれていて引き込まれる。
シ>>続きを読む
姉の死、遺体との対面、あるいは葬儀といった場面は回避され、一方で、残された主人公や姪っ子がこみ上げるように泣き出す様が何度も繰り返される。大事な人を失ったときに、それを受容するまでのプロセスがリアルだ>>続きを読む
終始醒めている主役二人が重いものを背負っていることが、小出しに明かされていく。『映画術』どおりの演出と、冬の光を捉えた映像と、けだるい音楽と、時折不穏な背景音。70分弱の尺数がちょうどよい。
ジーン・シモンズの父親役はハーバート・マーシャル。1930年代ルビッチ映画の粋人がすっかりおとっつぁんになっていた。この人は片足が義足だったそうで、本作では歩行するとき足が悪いことが分かるように演出さ>>続きを読む
ちょっとかったるいサーカス物映画と思っていたら、徐々に地獄巡りが加速していく。人の心を弄ぶタイロン・パワーの色気と、心理療法士ヘレン・ウォーカーの堂々たる悪女っぷりが素晴らしい。2019年現在、ギレル>>続きを読む
不覚にも大笑いしました。緊張の後の予期せぬ弛緩が定番ネタ。間合いが上手い。
第一部は、1980年代のエリック・ロメール作品を彷彿とさせる女の子映画。湖に砂浜を拵えた人造的なリゾート・ビーチは、次の傑作『宝島』の舞台となる。習作と言えるかも。
第二部は、さまざまな国籍の人物が登>>続きを読む
凡百の作品にはない映画の語り口はお見事。ところが、これに身を任せようとすると、ヒロインの異物感に翻弄されてしまう。異国の街で自らトラブルに踏み込んでいったり、「愛の賛歌」を熱唱するのは作劇の一環ではあ>>続きを読む
最後まで観る者を飽きさせない。けれども、ニューヨーク・ロケ、刑事物の原型、老警部補とルーキーのコンビ、夏の暑さ、レスラー、等々、語り尽くされたこと以外の面白さを見つけることが意外と難しい。追いつめられ>>続きを読む
フリッツ・ラングの次作『仕組まれた罠』でもグレン・フォードとグローリア・グレアムが共演している。これはジャン・ルノワール『獣人』のリメーク。映画としては、本作の方がはるかに充実している。幸福な家庭をし>>続きを読む
一人称視点で主人公が見えるのは鏡の中だけという趣向は首尾一貫している。ただ、カワハギも、マネキンの館も語り継がれるほどのインパクトはない。大団円では、母親のミイラが出て来ることを期待してしまった。
うろうろと彷徨い、ときおり唐突に動く。あるいは、コマ落としでジャンプする。被写体は故郷の家族や近所の人たち。商業映画と対極的なプライベートムービーの映像だ。赤の他人のプライベート映像に共感できるのも、>>続きを読む
オープニングからツアーに出発するまでのくだりは、人とカメラの動き、フレームへの出入りといった演出がなかなかに心地よい。さすが『映画術』という著作のある監督だ。ところが、旅が始まってからはそんな分析はす>>続きを読む
6月7日にアンスティチュ・フランセ東京で鑑賞。監督のトークインでは、多くの人たちを撮影した中で最終的に作品に留めた人たちにはフィクションを演じる雰囲気がある、といった主旨のお言葉が面白かった。まさしく>>続きを読む
最初の方、夫婦が屋内で会話する場面では睡魔に襲われた。これは、ギョーム・ブラック監督も感心しない部分とコメントしていてほっとしたところ。郊外に出かけるあたりから目を見張る場面が続く。水辺、草原、湖上な>>続きを読む
ぼんやりとしていたり、唐突に鮮明になったりする映像が、脈絡なく展開する。これはまさに、物語として整序される前の断片的な記憶、あるいは、夢だ。断片としての一つ一つの場面の作り込みの深さに圧倒される。オオ>>続きを読む
丁寧に作られたパルムドール作品だけど、印象に残るのは、黒が引き締まったモノクロ映像、アタランタ号のように背景を横切る貨物船、それに、常にただならぬ気配を放つアリダ・ヴァリの濃い顔。アンリ・コルピは編集>>続きを読む
思い出は、繰り返し語って言語化されることによって、物語として定着する。その過程で、記憶から感覚的な生々しさは消えていく。ところが、この映画で思い出を語り続ける彼女は、語ることで記憶の生々しさを再現して>>続きを読む
アンスティチュ・フランセでは、1979年版の後に1968年版を上映した。これは生前の監督の指示に基づくという。この指示は適切だ。1968年版は、1979年版に比べてお祭りのハレの雰囲気が桁違いに濃い。>>続きを読む
ドキュメンタリーとは思えないくらい、別アングルからのアクションつなぎがビシビシと決まる。素晴らしい編集の冴え。ドキュメンタリーもフィクションも同じ映画であることを思い知らされる、モンタージュによるリュ>>続きを読む
成瀬巳喜男が撮っていそうな、カネにまつわる家族劇。冒頭から結婚式までは快調なテンポで進行し、多くの登場人物たちが手際よく紹介され、伏線が仕込まれる。映画を観る至福を感じるところ。それが、事件の翌朝から>>続きを読む
一つ一つの絵はばっちり決まっているのに、残念ながらワクワク感が湧いてこない。ロングで捉えた風景の中をバスがゆっくり走り抜け、その間、下らない会話がえんえん続くという趣向までタランティーノなのに残念。
カメラと人物が動き回る優雅な振り付け。顔にかかる影。見上げて捉える2階の廊下。ショボいサスペンス・プロットに対して無闇に豪華な演出で、こういうのをマックス・オフュルスの無駄遣いというのでしょうか。
サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の映画には、2005年製作の『サン・ジャックへの道』というのがあった。(https://filmarks.com/movies/4963)ロードムービーは目的地をめざ>>続きを読む