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オッペンハイマーのえふいのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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当代きっての「着想の人」、クリストファー・ノーラン。彼の作品はいつだって「語れる映画」であった。『オッペンハイマー』も本邦公開以前からなにかとお騒がせだったが、意図せずとも勝手に向こう側から囃し立ててくれるところに、彼の作品の商業的な優位性がある。もとより「映画好き」においては一家言持たねばならぬ風潮のあったノーラン作品だが、『オッペンハイマー』は世界情勢さえもが味方してしまい、いよいよ無視し難い存在となった。
そんなムーブメント渦巻くなか、私はといえば、自宅の安価なチェアにすっかり腰を埋もれさせていた始末。3時間という上映時間にどうにも気乗りしなかったのだ。そんな重い腰を映画館の快適な座席で労ってやろう、などとどうにか外出する理由をこじつけ、ようやく鑑賞に至った次第である。
結論から申し上げると、少なくとも長丁場への不安については杞憂に終わった。それはひとえに、こちらの時間感覚を喪失せしめるノーラン流編集技法のおかげである。
そのひとつは、時間軸を錯綜させるという、『メメント』の時分からお馴染みのもの。もうひとつは、のべつ幕なしセリフと音楽を叩きつけては咀嚼させる──まるでわんこ蕎麦のようだ──編集だ。これが本作の序中盤に、疾走感のようなものを纏わせている。
そしてそれらを目の当たりにした観客は、オッペンハイマーの波瀾万丈な生涯そのものをそこに見出す。彼の人生あるいは本作にとっての転換点であろう、さる実験のシーンを皮切りに、そうした編集はぐっと鈍重なものに変遷し、彼の転落を物語っていく。緩急を自在に操り、長尺を感じさせず一大伝記を紡いでみせた手法には、素直に感心させられる。
が、やはりそれは「着想の人」としての手腕であり、「映画の人」としてノーランを評価すべきかはについてはまだ保留したい。例えば、マット・デイモン演じる陸軍将校とオッペンハイマーが語らうシーンで、服装をめぐってのちょっとしたやり取りがなされる。すぐさま、オッペンハイマーがスーツを羽織るカットが挿入されるのだが、その画面処理の事務的さ加減には思わず眉をひそめた。本作公開のひと月前、『夜明けのすべて』において松村北斗が奇しくも似通った所作を演じていたが、あちらのそぶりのさり気なさ、それを声高にセリフで表明しない慎ましやかさに比べると、ノーランの演出はやはり物足りないのだ。
と、なんだかんだノーラン作品の持つ力学に巻き込まれ、ついうだうだと語ってしまうのである。御大のしたり顔が脳裏に浮かぶ。そんな「着想の人」はこの先もいろいろと業界を席巻するだろうが、私は「映画の人」となる瞬間こそを待ち望んでいる。
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