晴れない空の降らない雨

オッペンハイマーの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.6
 分かりやすいノーラン。
 そりゃそうだ、ここに謎かけはない。そして何より映画の努力は、これまでのノーラン監督作の逆向きに向けられている。つまり、複雑なものを分かりやすくすることに。
 ノーランお得意の時系列の入れ替えもまた同様の目的に奉仕している。その結果、本作は確かにまぁまぁ面白い。この題材で3時間ダレることなくエンタメできている。大したものだ。
 だが、その犠牲は、いささか呼吸の浅いショットとして表れている。余韻も何もなく、ただ情報を伝えるための会話シーン。

 そして最も凡庸なノーラン。
 ノーランは、本作がオッペンハイマーの主観的経験を描いたと主張しており、少なからぬ評論家がそれに便乗した記事を書いているようだ。
 しかし、自分はこの狙いに関して全然ピンと来ない。他の大半の映画(エンタメ)も、基本的には主人公の主観で進んでいくわけで、それらと本作の違いがどこにあるのか分からない。主人公が認識しないことや理解しないことは、観客にも一切伝わらないとか、それくらい徹底するなら分かるが、別にそんなこともない。
 まして、ストローズという客観的にみて悪役の人物を出して、オッペンハイマーの関知しないアレコレを説明させている。

 確かにマジックリアリズム的にオッペンハイマーの幻視を映し出すシーンがいくつかあるが、これらは実に安っぽい演出だと感じた。特に妻が彼と不倫相手のセックスを幻視するところは信じられないほど凡庸だし、映画にとっても無駄でしかない。
 ところで、こうした手口はアニメーションのほうが得意だと思うのだが、自分がそうした演出をとる優れた作品をいくつか知っていることも、辛口になってしまう理由かもしれない。
 なかでも比較しがいのある作品は宮崎駿『風立ちぬ』だろうか。天才の独善的な主観世界のスクリーン化という点で、あれほど呵責ない作品があるだろうか。やはり宮崎駿と比べたらノーランはどこまでいっても常識人なのだ、と思ってしまう。

 それにオッペンハイマーの主観だというなら、それこそ原爆被害者の写真はスクリーンに映し出すべきだったのでは? すぐ目を逸らすとはいえ、彼はそれを見たのだから。ここは絶対日和ったと思う。(一応付言すると自分は日本人として非難したいわけではない。単にクリエイターとしての不徹底を指摘したいだけ。)