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オッペンハイマーのArlecchinoのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.1
凝った、重厚な映画でした。オッペンハイマーの栄光と苦悩が重層的に表現されていました。オスカー作品賞も納得ですね(近年納得ってのは案外少ない。私見ですが笑)。

被爆国民としては、*原爆を日本に落とす必要はなかったこと*をもっと強調してほしかった(ソ連が参戦すれば日本が降伏することは決定的なので、アメリカはソ連参戦のほんの直前に示威のために原爆投下をしたのです。このことは最近アメリカの報道でも見直されているようです)。ついでに(必要のない原爆投下を命令した)ハリー・トルーマンをその意味でもっと悪いやつに描いてほしかったですね(配役は一応、悪役ギャリー・オールドマンではありました笑)。一方、(被爆国として)広島長崎の惨状の描写がないことがこの映画の瑕疵であると感じるという論が結構ありますが、私は映画全体の流れとして不可欠ではないと思います。むしろ私は先に書いた「不要だった」をもっと描いてほしかったです。被爆国としてこの映画の公開に随分躊躇があったということにも違和感があります。オッペンハイマーを礼賛している映画ではないですし、彼は戦後大いに後悔して「私の手は血で汚れている」と本作品中でも語っているわけです。まあ彼がいなかったら広島・長崎に原爆が落ちた確率は低いということは認めますが、彼がいなければナチスや日本が先に原爆を開発していたかもしれません。遅かれ早かれ、の問題なのです。何度も書きますが悪いのはハリー・トルーマンです。「開発は我々であっても使うのは我々ではない」ってセリフもありました。
(わき道にそれますが、1970年代のシカゴの曲に"America needs you, Harry Truman"と歌う曲があって、これにはちょっとムッとしました)

物理学科卒の私としてはニールス・ボーア、マックス・ボルン、ヴェルナー・ハイゼンベルク、エンリコ・フェルミなどそうそうたる量子力学界の巨人が出てくるのは、その業績や立ち位置がわかったので面白かったですが、専門外の人にはちんぷんかんぷんでしょうね(「ボルン近似」「ベーテ近似」思い出すのも嫌だ笑)。でもこの大物たちと渡り合っていたことでオッペンハイマーの実力が知れる、というわけです(そういえばボルン-オッペンハイマー近似ってのもあった)。アインシュタインが量子力学を理解できない過去の人、みたいな扱いだったことにはちょっと違和感があります。アインシュタインは量子力学の数学的解釈として主流派の位置を占めようとしていたボーアと彼の仲間たちのコペンハーゲン学派の唱えたいわゆる「コペンハーゲン解釈」を受け入れなかっただけです。まあそれはさておき、質量をエネルギーに変える相対性理論の発見者アインシュタインと、それを利用した大量殺戮兵器を作ったオッペンハイマー(つまり原爆実現の立役者2人)が最後に語る会話が深く、重い。オッペンハイマーのやるせない悔悟。この映画の神髄はここにあります。

ウランとプルトニウムの臨界量に至るまでの生産量をガラス容器の中にビー玉を貯めて表していたのは面白い演出で(日本国民としては面白がってはダメかな)、計画の進捗がシステマティックに同時進行している様を如実に表現しているというわけです。オッペンハイマーの指揮のもと、広島市民を虐殺した爆弾があのように期待をはらみながら粛々と完成に向かうという描写には戦慄を覚えました。それから、テラーが言い出した原爆による大気引火(核融合連鎖)の話は初めて聞きました。トリニティ実験成功にみんなが賭けをしているところは日本国民としては怒るところでしょうね。

原爆もまだ完成前のあの段階で、水爆とその実現方法(その後、その通りに成功している)に言及していることにも驚きました。

大げさに語ることを許してもらうなら、核兵器は日米関係とか世界大戦とかが些末であるかのごとく文明論そのものに課題を突きつける事象である、それを明らかにした映画です。
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