デニロ

オッペンハイマーのデニロのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.5
分からぬことがいくつかあった。オッペンハイマーの聴聞。ルイス・ストロースの公聴会。もちろん量子力学なんて全く分かりません。理論に基づいて実験して、その結果を考察して、ああなるこうなるそうなるかもしれないという危険性を話し合っている短い場面は恐怖だった。原子だかの爆発が連鎖して大気に引火して地球が爆発するとかなんとか。今もそんな未知の実験をしている科学者がいるのかもしれないと思うと。

1954 年、米国原子力委員会に対する告発で、オッペンハイマーが小さな部屋で聴聞を受けることになる。ニュースになるような取り扱いにはしない、という聴聞の委員の囁きが漏れ聞こえる。その聴聞の内容は、オッペンハイマーがソ連のスパイである疑いがあるので、機密情報に触れる資格の有無を判断するものだったようです。彼の兄妹、友人、恋人には共産党の関係者も多く、彼自身もスペインの人民戦線に理解を示して支援を呼び掛けている場面が本作でも描かれていた。委員の囁きからしてオッペンハイマーを生殺しにして放逐してしまおうという企みだったようだ。実際にその通りの結末となる。

ルイス・ストロースの公聴会は1959年に行われている。映画では何をやっているのか最後の最後の方で朧気に分かるのですが、アイゼンハワー政権の商務長官就任を認めるか否かの指名承認公聴会なのでした。閣僚にふさわしいか否かということです。日本でもやればいいのに。議員を含む第三者委員会なんかで。その公聴会で彼が前年まで任に就いていた米原子力委員会委員長としての所業がクロースアップされていたのです。何故それをクロースアップしたのかは映画の魔法なのでしょうか。米原子力委員会のメンバーにはオッペンハイマーもいて、オッペンハイマーとストロースの間で、今後の核兵器についての米国での有り様についての見解を徐々に異にしていく様が描かれている。とりわけ水爆に関する考え方を大きく異にしていました。でも、観ている間はとても分かり難い部分です。

その水爆を思いついたのが、オッペンハイマーが原子爆弾を作る際に集めた科学者のひとりエドワード・テラー。みんなが核分裂反応の話をしている時に核融合反応にすればとか、わたしの理解の範囲外なので止めときますが、水素爆弾の方が強力だよと力説しています。みんなもそれは判るんだけど、さっさと原子爆弾を作ってドイツを降伏させるんだ、に傾いているのです。テラー博士にしてみたらオッペンハイマーたちはわからず屋にしか思えない。それが後々、オッペンハイマーの聴聞で、オッペンハイマーは水爆の開発を遅らせた張本人だみたいな話をするのです。スタンリー・キューブリックのストレンジ・ラブ博士のモデルのようです。

さて、ストロースは公聴会で、米原子力委員会の委員長としてオッペンハイマーと対立した経緯をいろいろと聞かれる。とはいっても、ストロースは科学者でないので理論的な詳しいことは分からない。つらつらみていると、オッペンハイマーも問題のある人物のようで、ストロースもかつてオッペンハイマーにいくつかの無礼な口撃を受けた場面が描かれている。観ているわたしにもひどく屈辱的なもの言いをしていると思わせる場面だった。で、ストロースは赤狩りの時勢に乗ってオッペンハイマーの排斥に動くのです。それが、1954年の聴聞に繋がっていくのです。

ストロースは公聴会で、その傲慢さや陰湿さを曝されてしまい、公聴会の委員から僅差で指名拒否にあうのです。その反対委員の一人の名前がジョン・F・ケネディと紹介されます。何で彼の名前が出て来るのか。未だに神話的な存在なんでしょうか。/And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country./なんていう彼の言葉が好きな人がアメリカには多いんだろうか。

広島、長崎への原爆投下。終戦後、トルーマン大統領との面会。/わたしの手は血塗られているようです。/君の事など誰も知らない。世間は原爆投下を命じたしたものを知りたがる。それは誰だ?わたしだ。君には関係ない。/そう言ってハンカチをオッペンハイマーに差し出す。そして、あの弱虫の顔は二度と観たくない、と言い放ち、大統領は水素爆弾の開発にゴーサインを出すのです。
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